やぎ座
根を持つために
熊楠の問題意識
今週のやぎ座は、神社合祀反対運動を行った南方熊楠のごとし。あるいは、「根を持つこと」を心から求め、それを何らかの行動に移していくような星回り。
明治期にすすめられた神社合祀に反対運動を展開した民俗学者で粘菌研究者でもあった南方熊楠は、森林伐採が進むことによって自然環境が悪化することだけを語っただけでなく、それと連動して、人々が長い時間をかけて築いてきた互酬関係や相互扶助のネットワークが取り返しのつかない形で破壊されてしまうことを論じました。
前者を自然のエコロジーとするなら、後者は社会のエコロジーとも呼べるものですが、さらに熊楠は、人間が人間だけの世界に閉じこもって自足するようになれば、知性が感性から切り離され、因果性が偶然性から切り離されて、人間社会から創造性や自由さえも失われてしまうという「精神のエコロジー」とも呼べる問題も直観的に捉えていたのではないかと思います。
というのも、熊楠という人は当時の時代において、人間がこの世界に根を下ろしていることで生かされているのだということを切実に感じていた人間のひとりだったから。
だからこそ、人々が根を持たない存在(デラシネ)に追いやられていっていることを敏感に察知できたのでしょう。
そして社会と同じく、各個人もまた自分とは異なるものとの交換を行っていかなければ、長く存続することはできません。
23日(金)にやぎ座から数えて「意識の開け」や「啓蒙」を意味する9番目のおとめ座に太陽が移っていく今週は、自然といつも以上に俯瞰的な視点を求めていくことになるはず。
その際、自分の「根」は一体どこに下りていて、どれだけ深く根を張れているのかということを改めて問うていきたいところです。
「新しい泣きかた」を見出す
根を持つということは、すなわち何らかの過去を継承していくということでもあります。
例えば民俗学者・畑中章宏の『先祖と日本人』の最後、「「魂の行方」を求めて―三・一一紀行」という章の最後を次のように締めています。
「戦後も災後も、「記憶の伝承」ということはよくいわれた。しかし、理性ではわりきれない、魂の次元を揺さぶられる事態が、大きな戦争や、巨大な自然災害なのではないか。柳田は『先祖の話』で、「生死観を振作(しんさく)せしめる」という言葉を使った。私たちは、「反省の学」を模索するとともに、新しい泣きかたを見つけ出さなければいけないと思うのである。」
「振作」とは、さかんに奮い起こそうとすること、という意味です。
それにしても、子供も大人も、いつから現代人はこんなにも泣かなくなってしまったのでしょうか。
このままでは風化しがちな歴史や記憶を引き継ぐとは、単に受け身で勉強することを越えて、まさに「新しい泣きかた」を見出したときに初めて成し遂げられていくのでしょう。
その意味で今週のテーマは、そも自分が泣けるほどの記憶や歴史を探していくところから始まっていくのだとも言えるでしょう。
今週のキーワード
精神的なエコロジー