やぎ座
疑問を育てる
むずかしさにぶち当たる愉しみ
今週のやぎ座は『人間の建設』における小林秀雄と岡潔の掛け合いのごとし。あるいは、いつもなら軽く受け流しがちなことに、改めて疑問符を向けていくような星回り。
日本というのは「文系か理系か」だとか、「直感か理性か」だとか、何かにつけて自分たちのことを分断させてグループ分けしたり、自分の属する立場を切り分けるのが好きな社会ですが、『人間の建設』という本ではそれらががっぷり4つに組んで、見事な闘いを演じている。
日本を代表する批評家と数学者が、例えば「情緒」とか「無明」のような、普通は学問において定義が難しいし測定もできず、軽くかわされがちなところを、この対談ではがしっとつかんでいこうとする。冒頭に近い箇所を少し引用してみましょう。
小林「学問が好きになるということは、たいへんなことだと思うけれども。」
岡「人は極端になにかをやれば、必ず好きになるという性質をもっています。好きにならならぬのがむしろ不思議です。好きでやるのじゃない、ただ試験目当てに勉強するというような仕方は、人本来の道じゃないから、むしろその方がむずかしい。」
小林「好きになることがむずかしいというのは、それはむずかしいことが好きにならなきゃいかんということでしょう。たとえば野球の選手がだんだんむずかしい球が打てる。やさしい球を打ったってつまらないですよ。ピッチャーもむずかしい球をほうるのですからね。つまりやさしいことはつまらぬ、むずかしいことが面白いということが、だれにでもあります。」
はたして誰にでもあるだろうかと思わずわが身を振り返ってしまいますが、今の社会のようにあまりに「分かりやすい」説明や言葉ばかりを求めてしまうことの危険性を、2人は示唆してくれているようにも思います。
今週のあなたも自分なりの異議申し立てを通して、少しでも難しい球に自分をならしていきたいところ。
発見の旅へ
若き日のチェ・ゲバラは、ブエノスアイレスから7歳年上のはとこと連れ立って旅に出ました。
ベネズエラのカラカスで終わるおよそ1万2千キロのその旅は、『モーターサイクル・ダイアリーズ』として映画化されていますが、その製作総指揮にあたったロバート・レッドフォードは或るインタビューで次のように語っています。
「僕はなぜ彼がチェ・ゲバラになったかという部分に興味があった。エルネスト(※チェ・ゲバラの本名)は旅を進めるうちに、腹黒い政府や団体によって住む場所を奪われてしまった人々の健康や幸せについて考え始める。彼は最後に「自分にはやるべきことがある。自分はこの旅で変わった」と相棒のアルベルトに語る。この旅は彼にとって“発見”ないし“啓発”の旅となったんだ。」
もしかしたら2人の対談も、あるいは何かを好きになるまで極端にやるということも、旅のようなものなのかもしれません。
そしてそうした旅に出るためのきっかけは、やはり頭の中の小さな疑問符にあるのだと思います。
今週のキーワード
『人間の建設』と『モーターサイクル・ダイアリーズ』