やぎ座
進化の袋小路にて
獲得と喪失の重なり
今週のやぎ座は、「新宿ははるかなる墓碑鳥渡る」(福永耕二)という句のごとし。すなわち、目の前の現実の背景に失われたものを、見通していくような星回り。
掲句を読むと、新宿駅へ向かう中央線の電車の窓から見える西新宿の高層ビル群を思い出します。
1日の平均乗降者数が約350万人にものぼり、世界一のギネス記録(2016年)をもつ新宿駅ですが、この句が詠まれたのは昭和53年(1978)でオイルショックを経て高度経済成長期を過ぎたころの日本。
おそらく作者の目には経済成長のシンボルでもあった高層ビル群が、「繁栄」とは裏返しの「滅亡」の象徴としての「墓碑」に見えたのでしょう。
ちょうど、理想主義のいて座から現実路線のやぎ座に移っていくなかで失われる信念や美学などのように、日本的精神の化身のごとき「渡り鳥」がよぎっていく。
巨大な人工物と美しい自然との対比が、空気が澄み渡る秋空のなかで際立ちます。
今週はちょっと俯瞰でこれまでの自分の歩みを振り返ってみてもいいかもしれません。
現実的に地位や豊かさを獲得してきた代わりに、自分は何を失い、何を取り返そうとしているのか。
それはやぎ座の人たちにとってとても大切な原点であるはずです。
奇跡ではなく美を
どんな種だって進化の袋小路に入り込んでしまうことはありますが、自分ではそうと知らず、そこからさらに自分の首をしめていくようなケースについては、はっきりと間違っていると言わねばなりません。
例えばベイトソンは、それは「奇跡」の希求なのだと言います。救世主であれ、降霊術であれ、「奇跡とは物質主義者の考える物質主義的脱出法に他ならない」のであり、そうした安易な誘惑にのることは誤った試みなのです。
「野卑な物質主義を逃れる道は奇跡ではなく美である―もちろん醜を含めた上での美だけれどね」(『精神と自然』)
興味深いのは、彼がそんな美の実例として、ウミヘビや、サボテンや、ネコなどの生き物を取り上げてみせるところでしょう。
ベートーヴェンの交響曲やフェルメールの絵画ではなくて、そうした生々しくも素朴な形態に即したところにこそ、袋小路から脱出を促してくれるような美意識というものは宿っていくのかもしれません。
今週のキーワード
醜を含めた上での美