やぎ座
過ちは自分自身へと連なっていく
過つほどに見えてくる
今週のやぎ座は、過ちこそが人生だ、と今後自分が過ちそうな事柄をつらつらと書き記していく人のごとし。あるいは、「死ぬまでにやりたいことリスト」を最新版へと更新していくこと。
人間は間違うものだ。どうしたって一生を間違い続けてしまう。ただそうした間違いや失敗を無意味と断じ、自分を嫌いになるのも自由だが、自分のことを自分で嫌いと言ってはばからない人は、客観的に自分が見えていない偽善者に他ならないだろう。
どうしたって自分のことを嫌いになれないからこそ、人は自分と仲直りするために生き続け、そうして人生という旅を続けていくうちにやっと自分を受け入れられるようになっていくのかもしれない。
そういう旅にはほんらい目的地はいらないけれど、道しるべとなる中継地点は必要になってくる。
「死ぬまでにやりたいことリスト」というのも、結局いくつ書き出すかが重要なのではなくて、中継地点を結んでいくうちに自分自身との仲直りのイメージが浮かんでくることが大切なんです。
間違えるほどに、人間というものが、自分というものが見えてくる。逆に言えば、自分を見たいがために人は間違うのだろうか。そんな自問ととともに、今週は過ごしていきたいところ。
孤島を結ぶ
過ちや失敗というのは、それ自体のみを見ている限りは、さながら広い海にポツンと取り残された無用の長物かもしれません。
ただし、もし私たちが航行する術を学んで、ひとつひとつの過ちや失敗としての孤島を舟で結んでいくことができれば、世界の中での自分の立ち位置は改めて確かになっていき、いずれ「自分は何者であるか?」という問いへの確かな答えを得ていくことだってできるでしょう。
「カリブ海の詩人たちは、どこに生まれようと、ついには群島的な出自を持つにいたる。それぞれの故郷である固有の島にたいする生得的な帰属は、あるとき、より広汎で接続的な、カリブ海島嶼(とうしょ)地域全体にたいする帰属意識へと置き換えられる。そして彼らの住み処はこの多島海、この群島全体にひろがってゆく。」(今福龍太、『群島—世界論』)
今週のキーワード
航海の目的地はどこか?