かに座
宗教画のように
ユーモアの表裏
今週のかに座は、『かなぶんに好かれて女盛り過ぐ』(岸本マチ子)という句のごとし。あるいは、自分がとうに過ぎ去ったと思えるものを改めて確認していくような星回り。
作者は結婚を機に沖縄に移住した俳人。蒸し暑い日に窓を開け、ベランダで風にあたって涼んでいたところに、灯をもとめて飛んできたかなぶんがこちらに真っすぐに向かってきたのでしょう。
ここまでは誰にでも割とよくあることですが、その真顔でなかったことにしてもいいような些細な出来事に対して、もう悪い虫がつくような歳でもないのにとユーモアをもって返しているところに掲句のおもしろさがあります。
ここでの「盛り過ぐ」という結びの表現にも注目したい。これがもし「越す」ならば、今まさに女盛りの峠を越そうとしているがゆえの若さへの執着だとか、自意識や女心がまだ生乾き状態であることが浮き彫りになって、とても笑えるようなものではなくなってしまったはず。
十分に喪失感をたたえた「過ぐ」だからこそ、「越す」の生々しさを乗り越えることができているのであって、その意味で「ユーモア」とは、人生に対する諦めを受け入れることのできた者だけが醸しだすことのできる色気と表裏一体の関係にあるのだとも言えます。
ひるがえって、あなたにはそこから距離を取るのがなかなか難しい欲望や自意識、願いのようなものを「とうに過ぎた」と感じた経験はあるでしょうか?
7月21日にかに座から数えて「距離感」を意味する7番目のやぎ座で満月を形成していく今週のあなたもまた、距離をとってはじめて見えてくる景色があるのだということを実感していくことになるでしょう。
海の老人
掲句と似た素朴で深い情緒を感じさせる人物として、他に例えばヘミングウェイの『老人と海』に登場する漁師の老人サンチャゴが挙げられます。
彼もまたとうに「盛り」を過ぎたオワコンだと思われていた訳ですが、物語の最後には見事巨大カジキをつり上げ、その成果(骸骨になってしまいましたが)をもって港に凱旋してきました。それは彼に憧れを抱き、みずから助手を買って出た少年にとっても、さながら聖人を描いた宗教画のごとく忘れがたい光景になったはず。
じつは『老人と海』には、老人サンチャゴをどこかイエス・キリストと二重写しに描く意図を明らかにしているような表現がいくつか出てきます。たとえば、出港から沖合での巨大カジキとの死闘を経て帰港するまでの期間が3日間だったのも、「死と三日後の復活」と重ねられている、といったように。
今週のかに座もまた、あなたの中の不器用にしか生きられない部分が、何に対して、何のために命を賭けようとしているか。その動機付けに応じた「復活」はどんなものとなるか、自分なりに思い描いてみるといいでしょう。
かに座の今週のキーワード
純粋であること