かに座
儀式としての虚脱
空っぽさの体感
今週のかに座は、改めて静かな快感の方へ。あるいは、身体的な次元に立ち戻って「抜け感」づくりにはげんでいこうとするような星回り。
今の世の中が、ますます窮屈で棲みづらい世界になってきているように感じられるのは、いったんきちんとぶっ飛んだり、思いきり横道にそれたり、世間から雲隠れした経験をへることで“抜け感”を作るチャンスがほとんどないからなのかも知れません。
例えば、陰謀論や似非スピリチュアルにハマりがちな人というのは、大抵は“大真面目”に世間に適応しようと頑張りすぎているだけで、だからこそ袋小路に陥りがちなのではないではないでしょうか。こうした傾向について、整体師の片山洋次郎は『オウムと身体』という著書の中で次のように述べています。
いずれにせよ、無理にエネルギーを集中したってダメです。それはただの興奮であって、その後に虚しさに襲われるんです。本当のエネルギーの集中は、その人の身体の要求に素直に生きていれば、自然にしかも目一杯やってくる。そうして、思いきり発散する。今の瞬間の生命の流れに完璧に乗っていれば、自動的にむしろ静かに快感がやってきます。
オウムに『生死を超える』という本がありますが、いくら力んでも「生死を超える」わけではありません。思いきり生きていると瞬間瞬間に「死」があり、刻一刻生まれ変わっているのがわかる。また、一人きりで生きているのではないこと―常に回りの人たちやモノの世界と響きあっていることもわかります。自分の意識だと思っているものが、実は自分と回りの世界の干渉の場だということもわかってきます。生ききっているその瞬間こそ、自らが空っぽだということがわかるのです。
こう言われてみると、確かに日本のように忌み避ける代わりに、死が日常的な光景としてあったチベットのような社会では、かえってカルト宗教のようなものは生まれないでしょうし、その意味で、健全な生活感覚を取り戻すには、ごく身近なところで「死」を感じたり、片山がいうような「自分と回りの世界の干渉の場」となって響きあっている感覚を取り戻していくことが近道なのだとも言えるはず。
7月12日にかに座から数えて「身体性を伴う実感」を意味する2番目のしし座に金星(快楽原理)が入っていく今週のあなたもまた、まずは自身のこわばりや力みをとっていくことから始めてみるといいでしょう。
古代日本と現代の対比
目に見える戦争は起こらずとも、現在先進国では唯一、若年層の死因の第一位が自死となっている日本では、生を最後までまっとうすることなくこの世を去っていく若者たちのニュースはもはや珍しくありません。しかし、万葉集を見るとじつは古代日本においても、異常死者に対する哀悼を歌った「挽歌(ばんか)」が異常に多かったことに気が付きます。
刑死や変死、自殺、路上で病気や飢え、疲労などで倒れての突然死や事故死―。改めて異常死の問題が時代を超え、地域を超えて我が国で発生し続けてきたということを思い知らされる一方で、現代ではそうした事態に対する不安と恐れの感覚が乾ききったまま散り散りに断片化しており、古代社会のように儀礼として挽歌を制作し、彼らを鎮魂せんとする情熱が明らかに後退してしまったのではないでしょうか。
特に、万葉集では恋人やつれあい同士で詠まれた「相聞歌(そうもんか)」が挽歌において極まるということがしばしばあり、ひとり悲しむ追悼の場面において、胸乳(むなぢ)を突き破るような抒情が悲傷へと収斂(しゅうれん)していく精神の在り様を紡いでいくことこそが、彼らにとって最大の慰霊に他なりませんでした。
ひるがえって、今のあなたには、そうした悲傷の心情や喪失感を抱きうる対象はあるでしょうか。あるいは、あなた自身がそうした対象となってしまう可能性はあるでしょうか。
今週のかに座は、ひとつそんな思案を巡らせてみるといいかも知れません。
かに座の今週のキーワード
アートの根源としての慰霊と鎮魂