かに座
呪いを解くぞ
案外正しい人は見かけによらん
今週のかに座は、「偽善者の化け物」に迫る出口王仁三郎のごとし。あるいは、内から外から漂ってくる偽善や欺瞞を嗅ぎつけては、一発おみまいしていくような星回り。
今ほど悪の避けがたさや、悪の複雑性、ないし善悪の不分明さをきちんと考慮に入れた「悪」の思想を先人からくみ上げていく必要のある時機はそうないでしょう。そして、今こそ顧みられるべき悪への対し方の先例としては、例えば、大正と昭和の2度にわたって国家弾圧をうけた大本教で指導的立場にあった出口王仁三郎(おにさぶろう)などはぴったりのように思います。
王仁三郎は、教祖・出口ナオの娘婿であり、ナオの峻厳な善悪二元論を引き継ぎながらも、悪の概念に独自の奥行きと広がりをもたらすことで教義を再構築させていったのですが、『裏の神諭』を見ると、王仁三郎が善悪とは本来表面的な次元では見抜きにくい次元にこそあり、欺きや自己欺瞞によって隠されがちなものとして考えていたことが分かります。
世の中には化け物が沢山をるので、表面(うわつら)はおとなしい虫も殺さんような顔してをる者が、かえって極悪人で人を殺したり盗人をしたり、いたづらをする世の中である。表面は鬼のような顔して、憎まれ口を言ふ者の心はかえって水晶で、案外正しい人は見かけによらん者と言ふ譬へのままである。それに気が付かずに、今の人民は追従して面前で優しい顔して甘い事を言ふて、媚びへつらふ悪魔は十人好きがする。
この世の中のことは何ほど偉そうに言ふても、真の神様より真実(まこと)は判りはせぬ、皆どんぐりの背比べ、お猿の尻笑ひである。神様の御前に出たなれば、誰も彼も罪汚ればかりで、恥ずかしいて人の心がどうじやの、行ひがこうじやのと、人の身の上の事を批判する資格は無いのである。おのれの尻から拭いて、足下を掃除して、おのれに一点の曇りが無いと言ふようになりてから、他人の事を言ふてやらんと聞く人が無いぞ、あつたら口に風を引かさぬが良かろう、この世の偽善者の化け物改心なさい。
王仁三郎が偽善に対してここまで激しく批判の矛先を向けたのは、おそらくみずからもまた避けられない罪の堆積のしたで苦しんできた経験から、みずからが陥る/陥ったかも知れない悪に対する無自覚が特に許しがたく感じられたからでしょう。
4月21日にかに座から数えて「世の中の流れ」を意味する11番目のおうし座で木星と天王星の合(信念と真実の統合)を迎えていく今週のあなたもまた、どうしたって「悪」ということと無関係ではいられない自身の身の上を受け入れていくべし。
今日的なセルフケアの文脈
現代人は今、つながりというものに疲れ果てているように思います。会社で働いていればつねに賞与を決めるために細かく評価され続けることになりますし、SNSでもいいねやフォロワーの数がそのまま自身の評価や価値に変換され、それに一喜一憂し、振り回され、また時に傷つきつつも評価を落としたくないばかりにそのことに蓋をして笑顔をつくろうとする。
それだけでなく、身近な他者からの善意を絡めたコミュニケーションにも心から安心できずにいる。いや、厳密には「いい人だと偽る人」からのコミュニケーションでしょうか。
「あなたのためを思って」とか「あなたが好きだから」といった前置きとともに投げかけられる欺瞞的な言葉を、私たちは愛を受け取りたいという欲望と、物語によって物事を合理化する能力によって呪いに変え、みずからそこにがんじがらめになっていく。
けれどそれは、人間が愛と知性を備えているがゆえに陥ってしまう必然的な展開なのであり、私たちは呪いとともに生きていかねばならない。だからこそ、呪いにかかるだけでなく、時に応じて、呪いを解いていくことも必要であるはず。
今週のかに座もまた、そうして自分を労わり慰めていく上で必要な手順を改めて確認した上で、身の回りにはびこる欺瞞を喝破していくことがテーマとなっていくでしょう。
かに座の今週のキーワード
みんなどんぐりの背比べ&お猿の尻笑ひ