かに座
私であって私でない私かな
しなやか…姿・形・動作がしなやかでやさしいさま
今週のかに座は、『太陽は古くて立派鳥の恋』(池田澄子)という句のごとし。あるいは、まっとうで健やかな軽妙洒脱さを帯びていくような星回り。
「鳥の恋」とは、春から初夏にかけて求愛のためにさえずる鳥たちを表す春の季語。はじめは拙く恐るおそるだった発声が次第に力強さを増していくにつれ、日差しも春のそれになっていく。
しかし、気になるのは太陽がなにと比べて立派で、なにと比べて古いのかということだ。詳しくは書かれていないが、おそらくその基準となっているのは自身の心だろう。
あくまで自分自身の心が出発点であり、この世のあらゆる営みの根本であり、鳥や太陽のそれをはかる原器に他ならないのだ。そうした「私」の介入の当然の帰結として、掲句にはただただ自然観察に徹した冷静さや精神の鎮まりの代わりに、どこか対象を茶化すようなユーモアややわらいだ空気の流れのようなものが感じられる。
それは私であって私でない私である。すなわち、日常世界にちんまりおさまっている私を眺めてくすりと笑う、そのまなざしの反転を通して、私性を超えた私へと突き抜けていく。と言っても、それは同時に圧倒的な超越的視点への生真面目な同一化を拒否するたおやかさをも備えている。
2月29日にかに座から数えて「超越」を意味する9番目のうお座で土星と太陽と水星の3つの惑星が重なっていく今週のあなたもまた、そうした作者のしなやかな精神性を一つの指針としていくべし。
無明の底へ突き抜けろ
精神科医の平井孝男は、かつて「宗教体験と心理療法」と題された討論において、無明感情とは「自分はどうにもならない」、「救われない」、「生まれてこなければよかった」、「生きていてもつらいだけ」、「誰からも普通扱いされない」、「普通の人間でなくなった」などといった苦悩の感情であると述べた。
それは言い換えると、どのような肯定性にも受容性にも到達することができず、どこにも自分の存在根拠・存在意義を見出すことのできない否定性の蟻地獄とも言える。
考えてみれば、ブッダもまた無明感情の深さゆえに既存の宗教への信仰や苦行では救われなかったのであり、そのどうしようもない救われなさの徹底的な自覚こそがブッダの偉大さでもあったのかも知れない。
今週のかに座もまた、菩提樹のしたで自己の無明と徹底的に向き合っていったブッダのことをどこか頭の隅に置いて過ごしてみるといいだろう。
かに座の今週のキーワード
無明感情の深さゆえに