かに座
胸の奥に新風を吹き込んでいく
「死神」のカードのように
今週のかに座は、『泣きながらひとり枯野を歩きけり』(高橋淡路女)という句のごとし。あるいは、停滞ないしマンネリ化した状況を打ち破るだけの力を誰か何かから借りていこうとするような星回り。
思わず帰り道を見失った迷子の童女を思わせる一句。作者は23歳の時に結婚するも、その翌年秋には夫を病気で亡くし、年が明けた2月に子供が生まれている。本格的に俳句を始めたのは子供が生まれた直後であり、掲句もその頃の作品なのだと思います。
結婚生活わずか2年で死別し、夫なき後に生まれた子と共にはじまった運命の重たさに、ただ黙って沈み込んでいく代わりに、ただただがむしゃらに足を前に出し歩を進めているうちに、ひとつの純情な慟哭となって、一途な悲しみを発露させていった。
これはなかなかできることではありません。普通の人であれば、人目を気にして自意識にがんじがらめになってしまったり、自分自身の感情にさえ気付かずに無理をして心身を壊してしまったりするところですが、作者がそうならなかったのは、本人の資質もあるでしょうけれど、一番はやはり子供の存在でしょう。
ある意味で、作者は自分のそばで乳をもとめ、生きようと懸命に泣いている赤子に同調し、自分自身も子供になりきることで、タロットの「死神」のカードのように生まれ変わっていこうとしたのだとも言えます。
1月21日にかに座から数えて「変容」を意味する8番目のみずがめ座へと冥王星が移っていく今週のあなたもまた、ここぞという時にはすすんで自身の弱さや愚かさをさらしていくべし。
ルソーの散歩術
18世紀のジャン=ジャック・ルソーは「自然に帰れ」という言葉を流行らせることで、西洋の「自然保護」的な観点の下地をつくりましたが、ここで面白いのは彼による「自然の発見」以前には、山や森などの自然は畏怖されるべきものではあっても、けっして気軽に親しんだり、ましてやレジャーやスポーツのフィールドとして“消費”されるような対象ではなかったという点。
つまり、彼こそはよくも悪くも自然を人間的領域へと引き込んだ張本人のひとりなのであり、その様子がよく分かる一例を、彼の晩年の著作である『孤独な散歩者の夢想』から引用してみたい。
たそがれが近づくと、島の峰をくだって、湖水のほとりに行き、砂浜の人目につかない場所に坐る。そこにそうしていると、波の音と、水の激動が、僕の感覚を定着させ、僕の魂から他の一切の激動を駆逐して、魂をあるこころよい夢想の中にひたしてしまう。
そして、そのまま、夜の来たのも知らずにいることがよくある。この水の満干、水の持続した、だが間をおいて膨張する音が、僕の目と耳をたゆまず打っては、僕のうちにあって、夢想が消してゆく内的活動の埋め合わせをしてくれる。そして、僕が存在していることを、心地よく感じさせてくれるので、わざわざ考えなくてもいい。
こういう文章を読んでいると、散歩というものもにわかに気分転換以上の意味を帯びてくるのを感じるはず。今週のかに座もまた、子供であれ自然であれ、自分の在り方を根本から変えてしまうような変数や因子をみずからの胸の奥までグーっと引き込んでいくことになりそうです。
かに座の今週のキーワード
存在とダンス