かに座
柚子はねむり、キノコは踊る
かえろうかえろう
今週のかに座は、『柚子は黄に席は自由に映画館』(中山奈々)という句のごとし。あるいは、ただ何かを消費するだけの“浅い遊び”をグーっと深めていこうとするような星回り。
「柚子(ゆず)」は奈良時代から栽培されている歴史の古い柑橘類で、夏に出回る緑の柚子が、秋になると黄色く色づいてきます。日本人というのはそうした光景を、頭で季節の自然な移ろいとして認識する以前に、いわばDNAレベルで血肉化してきたわけです。
そして、掲句はそんな民族的・集合的な記憶に通じる自然の描写に、日常に与えられた何気ない「自由」を並列させることで、「映画館」という場に単なる日常の延長線上の娯楽施設以上の奥行きをもたらすことに成功しています。
映画館で映画を見るという行為を、あたかも母なる大地の胎内で祖先たちの夢見てきた夢のつづきを見るかのような雄大なものへと接続させつつ、同時にどこかであくまでそれを映画の途中で眠りこけてしまった言い訳に使っているだけのような、いたずらっぽい笑みをも感じさせます。
まあ作者の真意がどちらに重点が置かれていたにせよ、掲句を読むと映画館の暗がりのなか好きな席に座り、好き勝手に眠りこけるのはとても気持ちよさそうに思えてくるはず。
12日にかに座から数えて「童心」を意味する5番目のさそり座に火星が入っていく今週のあなたもまた、「羽根を伸ばす」とか「羽目を外す」といったことに全力で取り組んでみるといいでしょう。
巨木的か、キノコ的か
井上ひさしのチェーホフ評に「一に主人公という考え方を舞台から追放した、二に主題という偉そうなものと絶縁した、三に筋立ての作り方を変えた」という一節がありましたが、これはドストエフスキーやトルストイなど他のロシア人作家と比べると非常に興味深い指摘です。
後者のような文豪は、普遍的な主題を扱いながら重厚かつ長大な大長編をものしていきましたが、ロシア文学者の沼野充義はそんな彼らを鬱蒼とした大森林の巨木に喩えつつ、短編小説や戯曲を書いたチェーホフをそれらの倒木を解体しつつ新たな植生の下支えとなるキノコに喩えました。
確かに、キノコの世界には誰が主役で誰が脇役なのかといった区別はありませんし、「神の愛」であるとか「美しい人間とは何か」といった大袈裟な主題とも無縁そうです。また、「成長」とか「成功」といったありきたりな帰結に収斂(しゅうれん)されていくような直線的な展開の物語性に自身の生きている時間を重ねていくこととも無関係なのではないでしょうか。
同様に、私たち人間もまた、何も自分の人生を特別な意味のあるものにしたり、ドラマや映画のように過剰に盛り上がる必要はないのです。
今週のかに座もまた、マッチョな方向にではなく、不思議で、遊び心のあるキノコの方へ生き方の標準を合わせていくといいかも知れません。
かに座の今週のキーワード
巨木的な価値観から解き放つ