かに座
目立たぬ花が咲いている
死者を見つめる眼
今週のかに座は、『花こぼるる棕櫚の下掃くさびしさよ』(村山たか女)という句のごとし。あるいは、多くの人に称賛されない花の美しさを知らせていこうとするような星回り。
「棕櫚(しゅろ)」は南国感のあるヤシ科の常緑樹で、その立派な樹影とは対照的な、黄白色の細い小さな花を5~6月頃に咲かせます。あまり美しいとは言えない地味な花であり、世間の人に称賛されることも少ない花です。
作者はそんな棕櫚の花を掃きとる行為を「さびしい」という。前書きに「亡き母を憶ひて」とありますから、棕櫚の花に母親を重ねているのでしょう。
母が病気となり、作者は看護のために女学校を退学してつきっきりで看病したものの、その甲斐なく母は亡くなってしまった。掲句はその後しばらくして詠まれ、作者自身もわずか21歳の若さで亡くなっています。
そう考えると、掲句は亡き母へ捧げられた鎮魂歌であると同時に、村山たか女というひとりの夭逝した俳人を通じて現われた死者の声でもあって。掲句と向きあう読者=生者はそうした背景も含めて、「そうした花もあったのだ」という事実を突きつけられるわけです。
6月21日に自分自身の星座で夏至(太陽かに座入り)を迎えていく今週のあなたもまた、この世にあって目立たぬ存在にこそ意識を向け、しかとその重みを受け止めていくべし。
「悲」を礎として
「禅」を世界に広めた鈴木大拙は、かつて宗教の役割を「力の争いによる人間全滅の悲運」から人類を救うことにあるのだとして、知識や技術(智)の世界の外に慈悲の世界があることをもはや忘れてしまった現代人を批判しましたが、ではその「慈悲」とはどこか遠くの、人間世界から隔絶したところにいる神のもたらす奇跡なのかと言うと、大拙はそうではないのだと言います。
いわく、「智は悲によつてその力をもつのだといふことに気が付かなくてはならぬ。本当の自由はここから生まれて出る。……少し考へてみて、今日の世界に悲―大悲―があるかどうか、見て欲しいものである。お互ひに猜疑の雲につつまれてゐては、明るい光明が見られぬにきまつてゐるではないか」(『大智と大悲』)と。
ここで言っている「悲」とは、たとえば誰かを下に見て蔑んでみたり、他人の不幸を笑ってしまうような心の奥底に眠っているものであり、そうした差別や無関心がもたらす悲惨さや残酷さにとことん眼差しを向けていった先で、ようやく見えてくるものなのでしょう。そして、今週のかに座もまた、そういう自分や周囲の人たちの心の奥底で眠っている「悲」を目覚めさせる道を、歩みつつあるのかも知れません。
かに座の今週のキーワード
いつかは開くべき蕾を見出す