かに座
水を汲む
生活にカオスを取り込む
今週のかに座は、水の流れに漕ぎ出していく舟のよう。あるいは、下からの声を拾い上げるべく、ますます底を薄くしていこうとするような星回り。
宗教学者の中沢新一と俳人の小澤實は対談集『俳句の海に潜る』の中で、俳句という言語芸術を前衛的試みから伝統芸術の一角へと昇華させた江戸時代の松尾芭蕉の方法論を、単に方法論的な分析にとどまるのでなく、彼らが根差していた世界観から捉え直しています。
(中沢)「優れた近世の俳句では底のところで無のほうへ開いていて、まるで幽霊みたいに足が消え去るような作りをしている。明治以降はそういう行き方が難しくなってきて、ヨーロッパ音楽みたいに底の開口部を埋めてしまうんじゃないかな。そうすると一個一個の俳句が粒となって自立、独立してしまう。」
(小澤)「現代の俳句は、独立し過ぎているのかもしれません。」
これは江戸の街中を縦横に水路が走っていたのが、明治以降にそうした「揺れ動いて捉えどころのないものに蓋をする」「世界を安定した流れに変えてしまおう」という方針に変わって、いつしかそれが当たり前になってしまったこととも表裏の関係にあるのでしょう。
その意味で、占いも俳句も、人間の生活に自然(カオス)をどう取り込むかという工夫という点で通底するものがあるはずですが、俳句の日本における頂点である芭蕉について、次のように述べています。
(中沢)「いろいろな土地へ行って、その土地の下の部分のつながりをつくっていく。それが舟じゃないかな。常に動きながら、人間の外の世界にあるもの、天然、自然の中に根を下ろす。「根を下ろす」というのは、下からの声を聞き取り続けることで、そのためには舟底をものすごく薄くしておかなければならない。無所有、無所得、漂泊というものを自分に課していって、どんどん舟底を薄くしていく。そうすると下からの声が立ちあがってくる。これが芭蕉たちが開発した漂泊しながら根を下ろすやり方ではないかと思う。」
27日にかに座から数えて「溶解」を意味する12番目のふたご座で上弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、近代的な世界観を乗り越えるためにも、こうした「漂泊しながら根を下ろす」やり方を自身の生活に少しでも取り入れてみるといいかも知れません。
言葉は深い水
お通夜の席で死んだ人の悪口を言ってはいけない、とよく言われますが、これは五感のうち聴覚だけは最後まで残るからなのだそうです。だから、臨終の床にあるときには、なおのこと声をかけてやることが大切になり、たとえ意識は失われようと、声の波長だけは伝わるということもあるのかも知れません。
日常においても、他者の出す音や声を聞くことで、私たちは孤独を癒している訳ですが、声というものは聞こうとしてはじめて聞こえてくるものでもあるのではないでしょうか。昔、ユダヤの詩人はこう歌いました。
人の口の言葉は深い水のようだ、
知恵の泉は、わいて流れる川である。(箴言18章4)
砂漠地帯には日本のように年間を通して流れている川はないようですが、雨季の一時的な豪雨のときのみに水が流れる「涸れ川(ワディ)」というものがあり、詩人は言葉はそんな涸れ川の下にある水のようなものだと言っているのです。
心があるならその水は、湧き出て流れる川となる。今週のかに座もまた、うまくすれば揺れる小舟のように川とひとつになっていくのを実感していくことができるはず。
かに座の今週のキーワード
「知恵の泉は、わいて流れる川である」