かに座
生きた証しとその基準
ある女性の一代記
今週のかに座は、『ふたり四人そしてひとりの葱刻む』(西村和子)という句のごとし。あるいは、書かれた記録と書かれなかった記憶とをよりあわせていくような星回り。
作者は戦後を駆け抜けてきた団塊世代の人であり、掲句はまさに彼女と同世代の女性たちの生き様を端的に表したものと言えます。
結婚して「ふたり」になり、2人の子を得て「四人」家族となる。そうしたいわゆる核家族化した家庭が標準世帯と呼ばれるようになった。やがて子は家を巣立ち、多くの場合は夫が先に死んで、やがて1人になる。
その間、ずっと変わらなかったのが、台所で葱を刻むこと。自分にとって葱を刻むことがすなわち生きることそのものであり、どうにか生き続けてきたことの証しに他ならなかったのだと、しみじみと実感が湧いてきたのでしょう。
しかし掲句を仔細に読み返すと、「ふたり」から間髪おかずに「四人」になっている一方で、「四人」から「ひとり」の間には「そして」という接続詞が入れられていることに気付きます。事実、彼女の夫は60歳で亡くなっており、あまりゆっくり過ごせた「ふたり」の時間はなかった。その空白をあえて表すための「そして」だったのかも知れません。
12月30日にかに座から数えて「来し方行く末」を意味する10番目のおひつじ座で上弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、自分や自分と同世代の人たちなら、いずれどんな風に人生を振り返るだろうか、などどと思いを巡らせてみるといいでしょう。
人は「成長」などしない
人間のこころというのは、ほんとうに発達心理学が提示する成長モデルのように直線的な発達を遂げるものなのかと考えてみるとき、例えば「三つ子の魂百までも」という諺のように、私たちは別のモデルやイメージにも自然と親しんでいることに気が付きます。
環太平洋地域には昔から、子供の魂に祖父母や曾祖父母の魂との同一性を見出すという伝統がありましたし、現代では常識とされている、人は家族の一員である以前に「個人」であるという発想もまた、根拠をさぐれば案外もろいものなのかも知れません。
そして、そうした本来もろいものである「立派なわたし」、「華々しく活躍して然るべき自分」といったアイデンティティを無理に保ち続けようとする人ほど、今のような先行きの不透明な停滞した時代状況ではますますキツくなってきてしまっているのではないでしょうか。
ただ、それは逆に言えば、そういうものにこだわるこころををいったん外すことさえできれば、いつまでも社会化されることを免れ、永遠に「成長」などせず、老いているんだか子供なんだか、個人なんだか集団なんだかよく分からないような「無理のない自分」「葱を刻んでいる私」に立ち返っていくことができるということでもあるはず。今週のかに座もまた、そこのところの塩梅が問われていくことになるかも知れません。
かに座の今週のキーワード
不自然な幻想と距離をとる