かに座
黙って座っとけ
「やってくる」を待っている
今週のかに座は、そばで黙っているだけの精神科医のごとし。あるいは、ただただともに偶然を待ち受けていこうとするような星回り。
48年にわたり精神科の臨床医として活動してきた塚崎直樹は、自身の若気の至りを振り返りつつ、自死の瀬戸際にある人への接し方について次のように述べています。
私は精神科医になった最初のころ、自殺未遂の患者がでると、厳かに生きる意味などをお説教して、人間の生きるべき姿について大演説を行っていた。しかし、その演説に感銘を受けた患者は一人もいない。大演説を聞いて生きる決心がかたまるようなら、家族や友人の話にこころを動かされないはずはない。そのレベルで救われないからこそ、治療を求めるのだし、治療者を求めるのである。治療者が常識の世界に戻ってしまっては、その意味も乏しい。現在では、そんな演説などしなくなった。そばに黙っているだけである。語るべきこともあまりない。(『虹の断片』)
自殺の名所で亡くなる人は、直前まで現場を何度も歩きまわる場合があるそうですが、おそらく心を決めるために歩いているのか、断念するために歩いているのか、自分でも分からないのではないでしょう。そして、その根底において、偶然というかたちで生きる理由がやってくることを、どこかで求めているのかも知れません。
その意味で、9月18日にかに座から数えて「無念無想」を意味する12番目のふたご座で形成される下弦の月へと向かっていく今週のあなたもまた、たとえ強い要請に直面したとしても、ひとりブツブツとつぶやく程度にとどめておくべし。
宴の供物
「ただともに偶然をまつ」とは具体的にはどのようなことなのか。例えば、紀元前2世紀にイタリア北部に侵入したゲルマン民族のキンブリ族は、ローマ皇帝アウグストゥスに20個もの大なべを献上したそうです。というのも、キンブリ族にとって‟なべ”は特別な道具であり、戦いで捕えた相手を、巫女の先導でなべのところへ連れてきては、その喉をナイフでかき切り、血をなべに流し、その流れ方で占いをしたのだとか。
彼らはなんらかの祭儀が行われる場合、集まって宴を催すのですが、宴席の中央には必ず大きななべが置かれ、沸騰する湯の中に獲物が投げ込まれ、その肉が踊るように煮えていくさまを、みなでじっと見つめていたのだと言います。彼らは肉が今にもなべから躍り出てくるように思えたのでしょう。
彼らの中で「なべから踊り出る」ということは、「なにか良い変化が起こって、寿命が延びる(若返る)」のと同意のことと考えられていました。その意味で、なべは変容をもたらすものであり、また祝祭の中心にあって「死と再生」を宿すアイテムでもあったのです。その意味で、今週のかに座もまた、キンブリ族のようにある種の「よみがえり」に備え、目の前の混沌=なべを見守っていくことがテーマとなっていくことでしょう。
かに座の今週のキーワード
偶然人生