かに座
解釈の余白にそっとたたずむ
芸術作品よりさらに一段と無価値のゴミに近いもの
今週のかに座は、国文学としての「超芸術トマソン」のごとし。あるいは、冗談や誤解で言ったりやったりしたことが意図せず自分の代表作の1つになっていくような星回り。
超芸術トマソンとは、赤瀬川原平が70年代に街で見かける本来の機能を失ったまま残っている無用の階段や窓口、窓など、芸術作品よりさらに一段と無価値のゴミに近いものとして、ちょうど当時読売ジャイアンツに助っ人大リーガーとして4番バッターに位置しながらもまったく活躍できていなかったトマソン選手にちなんで命名したもの。
その最大の特徴は、「ちょっとした変なもの」であること。トラックの横転や道路の陥没のような、大した変なものだとすぐに発見されて対策が講じられたり、整理整頓されてしまったりしますが、ちょっとした変なものだとたとえ目に入ったとしても、対策が講じられることも整理整頓されることもなく、そのまま何となく街に黙って存在していられるのです。
というより、日本の風土にはどこかでそうした解釈のつかぬものを不思議と温存してしまうシステムがあって、考えてみれば日本の伝統的な美意識とされる「侘び寂び」というのも、ズレたもの、歪んだもの、欠けたもの、見捨てられたもの、そういう人びとの意識の“外側”にあって、人びとの恣意を超えて鮮やかなものをこそ味わう楽しみという点で、路上で「無用の長物」をせっせと見つけては観察し楽しんでいた赤瀬川らのやっていたこととまったく同じなのではないでしょうか。
8月5日にかに座から数えて「純粋な楽しみ」を意味する5番目のさそり座で上弦の月(行動の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、奇しくも何の意図もなく始めた楽しみが茶や能や俳句などの国文学とつながっていった赤瀬川のごとく、「ちょっとした変なもの」をこそ追い求めていくべし。
タレスの言行一致
古代ギリシャの哲学者タレスは、紀元前585年の日食を予言して見事的中させたエピソードなどでも知られる人類史上でも第一級の碩学ですが、プラトンの『テアイトス』にはタレスが頭上の星に気を取られて空の井戸に落っこちて、下女にからかわれた話が出てきて、星の学徒としてはむしろこうしたエピソードを通して、気の毒やらおかしいのやら彼に親しみを感じる人が多いでしょう。
おそらく井戸の底に落っこちた際、タレスの眼前にはさっきまでとは違った意味での星が見えていたはずですが、もしかしたらこれは単なる人間味あるエピソードというより、宇宙万有の生成変化の大元にある原理を「水」で説明し、「大地は水の上に横たわる」という言葉を遺したとされる彼の思想の寓話的表現であったのかも知れません。
というのも、何かを人生をかけていれば必然的に本人の生き様や具体的にエピソードにも本人の思想や哲学が反映されていくということはそう珍しいことではないからです。その意味で、今週のかに座もまた、自分の生き様がふとしたことから具体的なエピソードの中に反映されていくことがあるかもしれません。
かに座の今週のキーワード
本人の恣意を超えてこそその作品は鮮やかなものとなる