かに座
「当たり前」を取り外す
対比をつかう
今週のかに座は、杜甫の「曲江、其の二」という漢詩の一節のごとし。あるいは、世俗的な在りようから一時的に抜け出していこうとするような星回り。
中国古代の二大詩人のひとりである杜甫の作品でよく愛誦されているものに、「酒債は 尋常 行く処にあり/人生 七十 古来稀なり」という七言律詩の一節があります。
大意としては、「仕事帰りに衣服を質入れして毎日曲江という池のほとりで飲んだくれている」、そして「私の酒代の債(つけ)は、尋常(いつ)でもどこでも、たまっている。人として生きて七十歳になるのは、古来、稀なことなのだ」といったところ。
後半の一節は現代でも70歳になったお祝いをする際の「古稀」という言葉として愛用されていますが、対句マニアであった杜甫は「七十」に「尋常」という表現を置くことで、対比を成り立たせようとしていたのです。
ただ「尋常」とは特別でなく当たり前にあることを意味し、もともと「普通の長さ」の意なのですが、現代であれば「七十」まで生きることの方がごく「普通」になっていますから、そうすると引用部分も「人生尋常七十に至れり」ということになって、家計の漬けはますます莫大で無限に近づいていくだろう、という対句でもつけなければならないはず。
もし杜甫の真意が「(70歳まで生きることなど稀なのだから)今を精いっぱい楽しもう」という逆説にあったとするなら、冒頭の一節は現代人にとって、「(幸福を先送りする苦労とは別に)お前は今を生きているのか」という問いかけになっているのではないでしょうか。
その意味で、7月20日にかに座から数えて「世間との関わり」を意味する10番目のおひつじ座で下弦の月(意識の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、杜甫のように飲んだくれようとは言わないまでも、当たり前のように人生が続くという前提を取り払ってみるといいでしょう。
「進化」などやめてしまおう
ダーウィンの進化論によれば、われわれは単純なものからだんだん高度で多様な生命が現れてきたことになっていて、ともすれば私たちもレゴで遊ぶ時のように、まず単純な部品を幾つか作ってから、それらを組み合わせて複雑で大きな造形物を設計していくように、進化といえばつい「高度化・複雑化」の方向性で考えてしまうことに慣れています。
ただ、果たして進化というのは本当にそうした方向性にのみ起こるものなのでしょうか。綺麗な右肩上がりの成長曲線ばかりではなく、時には渦を巻いたり、見当はずれの方向へと折れ曲がっていったりすることだってあってもいいはず。
あるいは、より複雑に、高度にシステム化していくような進化ではなくて、より素朴に自然なものへ簡素化して、もはや「進化」そのものをやめてしまうような原点回帰が、結果的に自分たちが心から必要としているそのものだった、という再発見だってありえるのではないでしょうか。
仕事においても、私生活においても、思わず目を丸くするような、しかし決して子供騙しではない生き方にたどり着いていく。今週のかに座は今こそそうした展開を見据えていくといいでしょう。
かに座の今週のキーワード
時代は変われどお酒の楽しさは変わらない