かに座
関わりの不思議を記憶していく
何度でも繰り返されていくべきこと
今週のかに座は、『朝顔の二葉(ふたば)より又はじまりし』(高浜虚子)という句のごとし。あるいは、つねに立ち返るべき命の原型に親しんでいこうとするような星回り。
5月下旬の作。小さな朝顔の二葉を目にするという、ごくささやかな、何気ない日常のワンシーンではありますが、作者の脳裏には何年にもわたる年単位での朝顔の繁茂や、更には普遍的ないのちの継承への思いがあったのかも知れません。
今年もまた二葉からはじまった命のサイクルは、朝顔がやがて種をこぼして枯れゆくことで、いったんはそこですべてが終わったかのように見えます。しかし、そのこぼれた種からまた芽が出れば、何度でもみずみずしい二葉はよみがえっていくのです。
その意味で、掲句の「朝顔の二葉」とはすでに何度も何度も繰り返されてきた小さな命の積み重ねであり、遠い昔のかつて見た記憶の中の朝顔であると同時に、いつか見ることになるだろう遠い未来の朝顔の原像でもある訳です。
同様に、14日にかに座から数えて「ルーティン」を意味する6番目のいて座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、つねに新鮮であり続けることを可能にしてくれる習慣を日常に取り入れていくべし。
「ザハル」という語について
世に、関わりほど不思議なものはありません。植物に限らず、友や師、書物、街やお店など、その対象はさまざまですが、振り返ってみれば偶発的でささいなきっかけで関わったものによって今の自分がここに在る、ということは考えてみれば非常に多いはず。
そう考えると、この「わたし」というのも一種の虚像であり、さまざまな関わりや結びつきこそが実体なのだという気さえしてきます。では、どうしたら数ある関わりや結びつきの中でも、特に決定的な関わりが成立し、虚像に命が吹き込まれるのでしょうか。
それは神の御心にとまるがゆえ。ヘブライ語には「ザハル」という動詞があって「心に留める、記憶する」という意味ですが、この語は聖書の洪水神話にも登場してきます。
そして神は、ノアと、彼と共に箱舟の中にいたすべての生き物と家畜とを心に留められた(創世記8・1)
この神とは、洪水によって全人類を滅した神なのですが、ノアだけは例外でした。風を送って地を乾かし、天の窓を閉じて雨を止めた。そしてノアを箱舟から招き出し、2度と洪水は起こさないと“約束”し、さらに初めて肉食することを許し、これらの契約を「心に留める」印として雲の中に虹を置いたのだとか。
この一連の物語のなかで、「ザハル」は何度も使用されており、いずれも「覚えておく」「決して忘れない」というニュアンスが含まれていました。
今週のかに座もまた、日常のなかで不意に訪れる<関わり>のなかに見えざる神の介在を感じたときは、できるだけ「ザハル」を試みていくべし。
かに座の今週のキーワード
虚像も命を吹き込み続ければ実像となる