かに座
沈黙からの訴え
一連の長く続く叫び声
今週のかに座は、『時鳥(ほととぎす)平安城を筋違(すじかい)に』(与謝蕪村)という句のごとし。あるいは、ずっと自分で受け止められていなかった心の声に気が付いていくような星回り。
粛然と闇に沈んでいる京都の街。突如その中空に、「時鳥(ほととぎす)」の一連の長く続く叫び声がおこって、一直線に筋交いに飛び去っていった。というのが句の概意。
京都の街は、いわゆる碁盤の目のように整然と、直線的に区画づけられており、従って、その中空をおもうがままに、ないし、一直線に飛び去っていこうとすれば、いずれの方向をとろうとも、必ず「筋違(すじかい)に」なる訳ですが、そこに遠くまで響き渡るような鳥の声が重ねられると、どことなく日常の慌ただしさや脳による記憶の整理整頓をかいくぐって浮上してきた、こころの奥底からの訴えのようにも思えてきます。
おそらくこの句は、京都の街やそれに象徴された世間の狭さ小ささを誇張的に表現したものというより、「時鳥」の叫び声がいかにも長く続いたことを誇張的に表現したものと言えますが、人間の意識の置き換えても、同じようなことが起きているのかも知れません。
すなわち、思いのほか古い過去から現在へとずっと届き続けているこころの訴えというものは珍しくなく、にも関わらず、それが聞き届けられ、受け止められることはそれほど多くはないのだ、と。
その意味で、30日にかに座から数えて「無意識領域」を意味する12番目のふたご座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、そんな風に「筋違い」に飛んでくる過去の自分の訴えを受け止めていくことがテーマとなっていくでしょう。
一つの噴泉としての沈黙
現代ほど人がたくさんの情報量を浴びながら生活している時代はかつてありませんが、同時に現代ほど言葉ひとつひとつの力が失われ、何かを伝えたり口にしたりすることの意味が陳腐化してしまった状況もないのではないでしょうか。
逆に、古代の言葉というのは、つねにその中心にはひとつの大きな沈黙があって、いかにそこから放射状にさまざまな言葉が形づくられようとも、繰り返しこの沈黙という中心に帰っては、あらためてこの中心から始まるようにできていました。しかもそうした傾向は、沈黙とはほど遠いものと思われがちな求愛や憤激の言葉であれば尚更強まったのです。例えば、マックス・ピカートの『沈黙の世界』には、古代ギリシャのヘロンの言葉として次のような一節が引用されています。
偉大なる文体においては、通常、沈黙がかなりの空間を占めている。たとえば、タチトゥスの文章のなかには沈黙が支配している。卑俗な怒りは爆発的であり、低級な怒りは饒舌である。しかし、いわば正義を未来に期待して、もろもろの事柄に言葉を委ねるために沈黙することを欲する一種の憤激がある。
同様に、今週のかに座もまた、あえて沈黙を欲することで、その沈黙の深みからやっと歩みでたばかりの最初の言葉の力強さを改めて獲得していきたいところです。
かに座の今週のキーワード
受け止めていくための儀式としての沈黙