かに座
懺悔とトーテム
無花果を食ふ男
今週のかに座は、「わが死後に無花果を食ふ男ゐて」(下村槐太)という句のごとし。あるいは、そういえばと「思い当る節」が不意に提示されていくような星回り。
一読して「わが死後に」というのは、「自分が死んだあとのこの世に」、という意味なのかと思っていたら、どうも「死後」というのは「死後の世界に」という意味であるらしい。そうすると、悪魔か何かから自分の死後を見せられているようで、じつに変な句である。
果たして「無花果を食ふ男」とはあの世での自分の暮らしぶりを捉えた一光景なのか。それとも、新たに生まれ変わった自分の姿なのか。晩秋に熟れて暗紫色の実となる「無花果」は、古来より女性の性的なシンボルとされ、ルネサンス期には禁断の果実として多くの絵画作品や天井画に描かれてきた。死後に自分がタブーを破っている(かもしれない)という観念は、すでにどこかでタブーを破ってしまっているか、少なくともその兆しがある、という観念に非常に近い。
つまり、ある種の告白や懺悔の句とも解釈できるが、56歳で病死するまで生涯にわたって不遇であり清貧に甘んじる生活であった作者の人生を踏まえると、妙に余韻が残る句へと変貌する。
11日にかに座から数えて「見えないしがらみ」を意味する8番目のみずがめ座で上弦の月(行動の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、自分で自覚していなかった他者への影響や関与について気付かされていくことが出てくるかも知れない。
トーテムへの捧げもの
デュルケムやフロイトといった人たちは、そもそもなぜ人は社会を形成できるのかという問いへの答えが、「トーテム」への信仰にあると考えていました。トーテムとは、各集団ごとに設定された特定の聖なる動物や植物のことで、基本的には神の使いですから、そのトーテムを殺したり食べたりすることはタブーとなります。ただ、年に一度のお祭りではトーテムを殺して、皆で食べたり、神に捧げたりする。そうして、トーテムに暴力を集め、そのことに悔いの念をもつこと、それが宗教のもとにもなっていると。
つまりトーテムにおいて、人は自らがしでかしてしまったことへの後いの念と、それを許してくれる存在への崇敬の念とを結びつけていった訳です。ここで大事なのは、どうも自らの「弱さや暴力性の認識及び克服」は宗教の発生と深い関係があって、掲句のような句を詠むこともまた、その意味でたぶんに宗教的なのだということ。
そして今週のかに座もまた、みずからの「悔い」をいたずらに見ない振りをするのではなく、許してくれる存在を見出し、そこに自分の大事なものを捧げていくべし。
かに座の今週のキーワード
DIY宗教