かに座
自然体はどこにあるか?
「自然な所作」に向かって
今週のかに座は、開いた戸口から自然と夜風が送られてくるよう。あるいは、外部からやって来た意味を受けて、ハッと視点が開いていくような星回り。
鎌倉時代の曹洞宗の開祖・道元は「自己をはこびて万法を修証するを迷とす」(『正法眼蔵』)と述べています。「万法」とは「一切の存在」、「修証」は「修めてさとること」。すなわち、自分から求めて意味を考え出し、世界を捉えようとすることで、人間は迷いの世界に入っていくのだ、と。
これは蒸し暑さを感じて起きた夜中に眠れなくなった人が、部屋の中で涼をとれるものを探したり、インターネットで安眠できる方法を検索したり、いつからどうして眠れなくなったのかと自問自答をくりかえすことに、どこか似ています。湧き上がってくる思いを必死で言語化すればするほど、訳が分からず戸惑いが深くなる。一方で、道元は先の一節に続けて「万法すすみて自己を修証するはさとりなり」とも述べています。
一切の存在のほうから、何かが自己のもとへと届けられる。それがさとりなのだと。先の喩えで言えば、蒸し暑ければ、四の五言わず、ただ窓をあけて夜風にあたればいい。物事のありのままの自然な所作が、最後にたどりつく境地なのだと。
9月7日にかに座から数えて「知識」を意味する3番目のおとめ座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、知識の深まりとともに忘れてしまっていたことを不意に思い出していくことになるかも知れません。
頭か、からだか
道元の言行を弟子の懐奘の立場から伝えた『正法眼蔵随聞記』を開くと、「仏道を得るには頭や言葉で得るか、からだで得るか」という命題が繰り返し登場することに気が付きます。端的に言えば、これはそのまま今週のかに座のテーマに他ならないでしょう。
つまり、意識や「自己」というのは絶えず、物事や人生の意味や目的を問うけれど、そこで感じとる苦痛や快感、満足や没落といった概念を創り出しているのは誰かということ。
それは「自己」ではなく、その背後にある「外部(としての自己)」であり、すなわち理性や精神ではなく、肉体であるのではないでしょうか。
腑に落ち、身に覚えのあることだけが、「外部」ないし意志の直接的な代弁者として「自己」の喜びや満足や情熱を創り出していくのであって、決してその逆ではないのです。
その意味で、今週のかに座もうまく行けば、あなたの中で「自己」がだんだん消えていくなかで、逆にだんだんと強まっていく意志や確信を直接的に感じていくことができるはず。
かに座の今週のキーワード
外部のような内部、内部のような外部