かに座
瞳のなかを星に塗る
排除された越境者としての「鵺」
今週のかに座は、「鵺あちこち瞳のなかを星に塗る」(宮本佳世乃)という句のごとし。あるいは、これまで見えなかったものが見えるようになっていくような星回り。
「鵺(ぬえ)」とは、『平家物語』や『源平盛衰記』などで御所を騒がせたとされる怪物で、「頭が猿で、胴は狸、尾は蛇」でいずれも妖異をもたらす動物のキメラであり、さらに翼が生えていることから、古来から「魂を運ぶもの」として畏怖された鳥としての特徴も備えていました。
現代では、そこから転じて掴みどころがなく得体の知れない人物の喩えに使われていますが、その意味では、どんなに時代がたち夜が明るくなったとしても、どこの社会にも「鵺」は目撃され、人々の噂のなかで生き続けるのではないでしょうか。
そして掲句はそんな「鵺」を、どこでにもいるしどこにもいない、さながら見えない友達のような存在として詠んでいる一句と言えます。おそらく、鵺とは社会の周辺に排除された者や、権力に敗れた者の象徴であった「鬼」たちの中でも、暗黒の他界から富と力を持ち帰る力にすぐれた越境者でもあったのかも知れません。
8月8日にかに座から数えて「掌の中」を意味する2番目のしし座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、「瞳のなかを星に塗る」ことでそうした見えない富と力の消息がすでに自分の手のうちにあることに気付かされていくことになりそうです。
ヴェンダースの二重画面法
かつて『ベルリン・天使の詩』(1987)を撮ったヴィム・ヴェンダースは、映画の中で死者でもある天使たちとこの世の事物との交流というセッティングで、画面いっぱいに死や死者の気配を溢れさせました。そこでは、死者(天使)たちはまるで寄り添うようにこの世に浸潤し、生者のかたわらに佇んでいるのですが、そのことが初めて明らかになる図書館のシーンなどは、圧倒的でした。
そしてそんなヴェンダースの映像には「二重画面法」という秘密がありました。①白黒画面(死者から見た沈痛かつ荘重なこの世の風景)と②天然色画面(この世に生きる時に初めて開けてくる風景。こちらは異様に明るい)とを頻繁に交替させていったのです。
そうして両者のまなざしが交錯していくうちに、映画を見ている側もまた、この世に帰還する死者(天使)たち同様に、奇妙なまなざしの反転を余儀なくされていく。すわなち、ふだんこの世に没頭して生きている生活者のまなざしが相対化され、今一度この世この生の最大限の肯定性を見つめ直す思考回路が準備されていくのです。
そしてそれは、かつて人々が「鵺」の鳴き声やまなざしを通して経験していたことにも通じているのではないでしょうか。今週のかに座は、そうしたまなざしの交錯が体験させてくれる鮮烈さをどこか追い求めていくところがあるように思います。
かに座の今週のキーワード
まなざしの中に死者を宿す