かに座
生まれ変わりへの助走
峠の光景
今週のかに座は、「赤き馬車峠で荷物捨てにけり」(高屋窓秋)という句のごとし。あるいは、人生の節目を迎えるための通過儀礼を済ませていこうとするような星回り。
無季の句ですが、どこか春らしい陽気と切なさを感じさせる一句。
「赤き馬車」が里から峠まで積んできたせっかくの「荷物」を「捨てにけり(捨ててしまったことだなあ)」という。そこには何の理由も書かれていませんが、少なくともそんな光景がたまたま遠くに見えた時、作者の中で何かがストンと腑に落ちたであろうことは間違いないでしょう。
まだ老境などとはとても言えない人生の途上で、理由もなしに大事な何かを突然捨てたくなって、捨ててしまった。それは烈火の如くひた走る「赤き馬車」に重苦しい「荷物」が不釣り合いなように、直感的で出たとこ勝負のかに座の人たちというのは、人生のシーンの変わり目において、往々にして自分の半身のような存在を置き去りにしてしまうのではないでしょうか。
古来より峠には魔物が棲むと言われますが、「峠」=人生の境い目に差し掛かった者は、およそ人が行ったとは思えない魔物のような所業を人知れず行ってしまうものなのかも知れません。
20日に太陽がかに座から数えて「到達と終着」を意味する10番目のおひつじ座に移動し、春分を迎えていく今週のあなたもまた、一つの終わりを経験していくことで、次なる目標へと進み始めていくことでしょう。
「はかなさ」の感受
人は何らかの大きな節目を経験する時、より根源的な生き方感じ方のレベルで「はかない」という感じが深まっていきます。いわゆる無常感を表す感情ですが、竹内整一の『やまと言葉で哲学する』によれば、こうした「はかなさ」は二つの仕方で起こってくるのだと言います。
①今ここにある「みずから」の存在やその営みが、けっして「はかる」ことのできないかけがえのないものであるということの感受。つまり、ひたすら結果・成果のみへと「はかる」ことではない、今ここにあること自体の一回性の尊さ・いとしさ・おもしろさへの感受が可能であるということ。
そして、そうしたことを感じ取るということは、同時に
②「みずから」を包みこんである、「はかる」ことのできない何ものか(神や仏など)の働きの感受でもあるということ。
つまり、「はかない」とは自らのあり方の有限性や否定性を介すことで現れてくる、おもしろさや美しさというものがあるという発見やその驚きでもあるのでしょう。
その意味で、掲句もまた①の「はかる」ことができない何かを感じ取るなかで、②へと開かれていった、その瞬間の感覚を活写したものだったのかも知れません。今週のかに座も、そうした二つの「はかなさ」の交錯を感じとっていけると良いのですが。
今週のキーワード
理由などない、必要もない