かに座
離見の見
※当初の内容に誤りがありましたので、修正を行いました。ご迷惑をおかけし大変申し訳ございません。(2021年1月25日追記)
おもざしの構造
今週のかに座は、「おもざし」という古い日本語のごとし。あるいは、「おもて」と「うら」、見えるものと見えないものとが互いに交錯していくような星回り。
やまとことばにおいては、「おもて」という言葉はときに能や雅楽の面(仮面)を意味し、ときにまた、顔ないし素顔を意味しますが、この「おもて」から派生して出てきたものに「おもざし」という言葉があります。
これは顔貌や顔つきを意味する語なのですが、眼を意味する「まな」に方向づけや志向性の「さし」(「指す」の変形)をくっつけた「まなざし」もまた「おもざし」とよく似ているように見えます。しかし、この二つの語にはひとつ注目すべき違いがあり、それは「おもざし(顔の志向、顔つき)」がおのずから、それ自身のうちに双方向的に交錯する志向性を含むのに対して、「まなざし」には一方向的な志向性以上のものが見られないのです。
哲学者の坂部恵は、こうした「おもざし」という語が持っている構造について、「他者によって見られるものであると同時に、また、みずから見るものであり、さらには、おそらく、みずからを一個の他者として見るもの」と分析してみせましたが、これはまさに能の教えのなかにある「離見の見」という考え方に他なりません。
すなわち、真にすぐれた演者は、つねにみずからの姿かたちを、後方ないし背中の方からも見ることができなければならない、と。
29日にかに座から数えて「身体性の回復」を意味する2番目のしし座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、そんな繊細かつ洗練された幽玄な「おもざし」を宿していくことができるかも知れません。
非風を是風に
歳をとることは可能性が限られていくことを意味し、できることや選択の自由も年々失われていく-。「転職35歳限界説」などもそうですが、多くの人はややもすると歳をとることを可能性の縮減と考えがちです。
確かに身体の機能そのものが衰えることは事実ですが、能の大成者・世阿弥などは、少年の愛らしさが消え、青年の若さが消え、壮年の体力が消え、といった喪失のたびに、それと引き換えに何か新しいものを獲得する試練としての「初心」を迎えていくのだと繰り返し述べています。
例えば、『風姿花伝』には「年来の稽古の程は、嫌いのけつる非風の手を、是風に少し交じうる事あり」という一節がありますが、これは若年から老年にいたるまで積んできた稽古のなかには、「嫌いのけつる非風の手」、つまりこれまで苦手とし避けてきたようなこと、やるべきでないとされてきたことを、「是風」つまり得意にしてきたことや、好んでやってきたことの中に取り入れて交ぜてきた、という意味。
世阿弥にとって歳を取るとは、こうした自由の境地を獲得していくためのプロセスでもあった訳です。今週のかに座は、ひとつそんな視点から自身の今後の指針を立てみてはいかがでしょうか。
今週のキーワード
双方向的で重層的な深まり