かに座
なんだそれ?
異星人からの視点
今週のかに座は、藤子・F・不二雄の「サンプルAとB」という短編作品のごとし。あるいは、これまで潜在的に抱いていた違和感を表出していくような星回り。
ロミオとジュリエットの物語のような現実が展開される地球上の模様を、異星人が母星に調査報告したレポートのような文体で描かれた本作には、例えば食事の場面については「台上の物体にはかつて生命活動をおこなっていたらしい形跡がある。A、A´、A″はこれらを身体上部の穴に押しこみはじめた」と書かれている。
その一方で、「彼等の行動の意味は我われには理解しがたいものであった。上肢に持った金属片を相手の体の中に挿入するのが目的のようである」と剣による決闘の場面について報告も出てくる。
こうした報告を読んでいると、なんだか笑ってしまうような、困惑するような、奇妙な気分になってくる人は少なくないのではないでしょうか。
つまり、これは「異星人からの視点」の態で違和感が表出されている訳ですが、果たして、地球人同士でさえも、私たちはお互いの行為の意味について了解しあえているか。あるいは、言葉は通じていても話は通じていないという状況にごく日常的に接しているのではなかったか、と。
13日にかに座から数えて「自己相対化」を意味する7番目のやぎ座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、あえて異星人の視点を持ち込んで普段の日常や周囲で当たり前のように展開されている現実について見つめ直してみるといいでしょう。
詩的行為としての違和感の表出
かつて批評家であり詩人でもあった吉本隆明は、『詩とはなにか』という本の中で次のように述べていました。
「詩とはなにか。それは、現実の社会で口に出せば全世界を凍らせるかもしれないほんとのことを、かくという行為で口に出すことである。」
これは技巧のうまい下手とか、表面的なジャンルをこえて、詩的であるとはどういうことか、詩情のはたらきとはいかなるものかを、簡潔に言い当ていますし、その意味では例えば先のような漫画表現であっても詩的な行為たりえるのだと言えます。
もちろん、起きている現実を当たり障りのない仕方でイラストや漫画にしたところで、それは詩的行為とは言えないでしょう。やはり純粋な心で見たときに、本来見えないはずの何かが映じてくるのでなければ、いくら実物に近かろうと「ほんとうのこと」とは言えないのです。
その意味で今週のかに座も、こころに湧き上がってきた「ほんとうのこと」を見逃さず、ぜひともみずからの生きる現実と接続していきたいところです。
今週のキーワード
童子の目