かに座
始まり、そして中心としての闇
聖所としての闇
今週のかに座は、砂漠の夜の底知れぬ闇のごとし。あるいは、闇にじっと目を凝らすことで微かな輝きを見出していくような星回り。
思えばほんとうの闇というものを、ふつうに体験することが困難な時代になってしまったものですが、それでも日中容赦のない光熱に襲われることになる砂漠では、今でも日が沈めば深い闇と静寂とが訪れます。
そうした砂漠の感覚は、砂漠をさすらったユダヤ人たちが記した聖書のヘブライ語原典の表現や言い回しにも数多く見受けられ、例えば『創世記』の創造の初日の結びには「夕となり、また朝となった。一日である」(1章5)と書かれています。
つまり、日没を起点に一日は始まるのであって、炎熱と死をもたらす渇きとが去った夕べの闇こそが、ものみな生き返らせる待望の時であり、いきいきとした生命の源だったのです。
そして聖書の民においては、この闇に彼らの神を感じ取り、その闇の深まりを毎夕意識しながら一日が始まっていったのであり、寝ているうちにいつの間にか翌日になっている私たちとはその点で訳が違いました。
9月22日のかに座から「存在の基盤」を意味する4番目のてんびん座へと太陽が移っていく今週のあなたもまた、そうした普段なかなか意識することのないような深い深い闇の底に身を隠し、一体化していくような感覚を通じて、ある種の生まれ変わりをしていくことがテーマとなっていきそうです。
”世界の中心”を探りあてる
『世界の中心で、愛をさけぶ』という小説が映画やドラマ、舞台にもなって一種の社会現象になったのは2000年代半ばですから、もう10年以上も前の出来事になりますが、この作品はどこか今週のあなたの指針を示してくれているようでもあります。
そもそも「世界の中心」とはどこを指しているのか疑問に感じると思いますが、ドラマ版では「世界の中心」という言葉は一度しか出てこず、そこでは主人公である亜紀とサクの2人が「アボリジニの聖地ってウルルって言うらしいよ」「アボリジニにとって、世界のへそとか…中心とか。そういう場所らしいよ。行ってみたいなぁ」という会話をしていて、亜紀はそんなウルル(エアーズ・ロック)やアボリジニの世界観に興味を持つのですが、ほどなくして白血病を発症してしまい、2人にとっての憧れの場所は一転して哀しみの象徴になってしまいます。
ただ、ウルルはアボリジニにとっての聖地ではあっても、2人にとって本当の意味での聖地とは言い難いでしょう。実はこの作品では、その後も明確にこここそが2人にとっての世界の中心であると明示されていません。逆に言えば、観る側読む側が各自の視点でそれを見つけ出していくことに醍醐味がある訳です。
そして今週のあなたのテーマもまた、自分にとっての世界の中心を周囲のどこかに見つけ出していくことにあるのだと言えるでしょう。
今週のキーワード
砂漠の闇の深さ