かに座
仮面の下の沈黙
詩人の境地に立ってみる
今週のかに座は、別世界の言葉の前に佇んでいる人のよう。あるいは、語る人である前に聴く人であろうとしていくような星回り。
沈黙というと、私たちはついそこに何もない空白や空虚ということをイメージしてしまいがちですが、ひょっとしたらそれはそう見えるだけで、私たちが理解する言葉や感覚できる音とは別の秩序の言葉がそこに訪れているのかも知れません。
そして、沈黙とは何ものかの雄弁な語りである、と積極的な肯定にまで及んでくると、そこはもう詩人の立つ境地となります。例えば、リルケの代表作『ドゥイノ悲歌』では、次のように詠われます。
「声がする、声が。聴け、わが心よ、かつてただ聖者たちだけが
聴いたような聴き方で。巨大な呼び声が聖者らを地からもたげた。
……おまえも神の召す声に
堪えられようというのではない、いやけっして。しかし、風に似て吹きわたりくる声を聴け、静寂からつくられる絶ゆることないあの音信(おとずれ)を。
……あれこそあの若い死者たちから来るおまえへの呼びかけだ。」
風のように吹き、静寂のうちに生み出される「音信」は死者の声に他ならず、神の言葉を聴く聖人になどなれない私たちは、せめて死者の声を聴こうと言うのです。ここで言う死者とは、祖先であり星であり天使でありガイドであると言ってもいいかも知れません。
23日にかに座から数えて「集合的な記憶」を意味する12番目のふたご座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、何かを念じて願う有意義な時間よりも、ただ素朴に手を合わせ、両腕を広げて誰かを沈黙を受け止めていくような一見何でもないような時間をこそ大切にしていきたいところです。
能面の下の運命
ほとんどが死んだ人の話を扱い、冥界から訪れてくる者を演じる能のお面というのは、人間のなかの影の部分というか、「闇の分け前」みたいなものを表に出すためのある種の戦略であって、考えれば考えるほど、演劇というのは大体そういうものなのではないかという気がしてきます。
つまり、「運命」という名前でしか言いようのないものを可視化していく上で、人間の正の部分を正の部分として出していくのではどうしても足りなくなってくる。この世界をひっくり返してやろうとか、そう思いながら闇の中でうごめいていく主体の芽生えみたいなものがお面を通して打ち出されていくのでなければ話が済まないのです。
人の心の負の部分というのは、お面の下の陰のなかでこそ育ち、打ち出されていくもの。今週は、自分の中にまだ残っている闇や、自分がなぜだか共感してしまう人間精神の負の側面にこそ焦点を置いてみてはいかがでしょうか。
今週のキーワード
うさんくさく否定されるべきものこそ受け止める