かに座
あやしい風が吹く
<私>がたゆたう
今週のかに座は、「ぼうたんの百のゆるるは湯のやうに」(森澄雄)という句のごとし。あるいは、純粋な感動に突き動かされることで見える景色が移ろっていくような星回り。
西洋の花の代表が薔薇ならば、東洋のことに中国の花の代表は牡丹(ぼたん)。そんな牡丹が、まるでひしめき合うようにたくさん咲き誇っている。
ときおり吹く風に揺らめくさまも、花王という異称にふさわしく、大きく広げる花びらはまこと泰然としており、作者はそこに「水」とは異なる「湯」のたゆたいを直感したのだろう。
俳句というのは中途半端な人間関係と違って、対象やモチーフを取りあげてただ綺麗な言葉を並べていればそれでいいというものではなく、純粋な感動をきっかけとして、言葉でそれを効果的に配置していくのでなければならない。
掲句は「ゆるる」と「湯」で音を重ねることで、余計な観念や理性の働きが振り払われていく代わりに、異なるイメージがなめらかに連続していく。
5月1日にふたご座から数えて「仲間や同志」を意味する11番目のおうし座で、水星(コミュニケーション)が天王星(新風)と重なっていく今週のあなたもまた、これまでにないコミュニティやクラスターに首を突っ込んでいくことを通して、世界へのまなざし方に新風を吹き入れていくことがテーマとなっていきそうだ。
「か身交ふ」
風、あるいは風のような私、というのは一見ふしぎな感じを覚えるかも知れない。しかし、「考える」という機能を特異なまでに発達させたのが人間なのかと考えると、至極当然のような気もしてくる。
例えば、「考える」という言葉は「か身交ふ(かむかふ)」から来ているが、最初の「か」には意味はなくて、つまみ身をもって何かと交わり、境界線をあいまいにしていくことで、そこに新たな思考を生みだしてきた。
車の行きかう音や鳥の声、葉のそよぎに、月から漏れる柔らかな音楽。そういうものを見たり聞いたりしながら歩いているうちに、外なる自然と内なる自己が交わって、親密な関係となり、そこでひとりで部屋の中で考えているだけじゃ思いつかないようなことが引き出されていく。
媒介としての身体と、風のようにゆらめく私。つむじを巻いては風にのってどこかへ吹き抜けていくとき、その風は身体を通して交わった者の思考をいつの間にか別次元へと連れ去っていくはず。今週はひとつそんなことを念頭に過ごしていきたい。
今週のキーワード
連れ去ったり、連れ去られたり