かに座
一個の疑問符となる
一個の疑問符となる
今週のかに座は、ルイ・マクルーシスの「占者たち」という版画のごとし。あるいは、注意を凝らしていながら、ゆっくりしている、そんな特別な平静さをまとっていくような星回り。
20世紀前半にフランスで活動したマクルーシスは、斬新な技法で描かれた静物画や風景画 で知られた一方で、挿絵や版画でも重要な作品を残したが、その中に16人のそれぞれ異なる占術を駆使する占い師を描いた「占者たち」があった。
占者が見つめているのが、星であれ手のひらであれ、カードや小鳥やサイコロであれ、隠れた実態や不透明な未来を真剣に占おうとする者の視線は、知性と共感、魂のちからと心情のこまやかさといった、洞察力の二つの異なる原理に同時に従おうとしているように見える。
おそらくこの作品自体は、自分にとってどの占者がフィットするか、自分がひいきにするべきはどんな相手なのかを、占術の内容や口コミなどといった先入観とは離れたところで、ただその視線の在り様によって選べるよう意図して作られたものだろう。
8日にかに座から数えて「隠れた動機」を意味する4番目のてんびん座で、満月が起きていく今週のあなたもまた、目に見えないものを扱う占者や心理学者のように、いつもより一層深く落ち着いたまなざしを宿していきたいところ。
子規のまなざし
まなざしということで思い出されるのは、俳人の正岡子規。カリエスという病気を患って長年病床に臥していた彼は、やむにやまれぬ事情で空間が非常に狭まっていった結果、その限られた空間をものすごく繊細に描写し始めるだけでなく、何度も体から抜け出して、狭い庭を見下ろしていく幽体離脱のような体験を重ねていき、ついには自分の死体まで風景の一部として詠んでしまうところまで行き着いた。
「鶏頭の 十四五本も ありぬべし」
鶏頭は秋に細かい花を咲かせる植物で、公園や庭先などによく観賞用に植えられている。それが14,5本も「ありぬべし」すなわち、きっとあるに違いない、という意味だが、どこかその生き生きと咲き乱れている花の赤と、まさに生命が燃え尽きようと喀血している間際に手に受けとられた血の赤を対比的に詠んでいるようにも感じるし、この句がそのまま天への問いかけのようにも思えてくる。
子規のように意識が極限まで冴えわたった状態を維持するのは常人にはなかなか難しいが、やってみる価値はあるはずだ。
今週のキーワード
心の底を天から見下ろす