かに座
野犬とその養育
まつろわぬ神
今週のかに座は、街をうろつく野犬のごとし。あるいは、美によって隠蔽(カモフラージュ)された獣性を受け止め、親しみ、育んでいこうとするような星回り。
ペットを連れて道を歩くことはありふれた日常の光景だが、野犬が街をうろつけば途端にそれはパニックの元凶となる。飼い慣らされ、躾けられ、すっかり人間の秩序に組み込まれてしまったペットとは異なり、不意に街に現れた野犬は異物どころか、秩序そのものを脅かす「獣」となるのだ。
例えば、本能に深く根差した「食欲」を見ても、文明社会には必ず食事の行儀作法というものがあり、みずからの獣性を上手に隠蔽できない者には「醜」の烙印が押され、社会からつまはじきにされる。そしてこうした排除の原理は、「性欲」においてより強固に発揮されていく。
しかし、秩序を乱すものたちへ向けられる監視の目にも、必ず死角が存在する。人間の獣性というものもまた、そうした秩序を逸脱したところにわだかまる闇の領域に生息する、一種のクリーチャーであり、いつの時代も彼らが完全に息絶えることはあり得ない。
かに座から数えて「無意識的活動」や「未知の領域」を意味する12番目のふたご座で下弦の月を迎えていく22日(日)へ向けて少しずつ月の光が弱まっていく今週は、日を追うごとに闇の奥処からなにやら騒がしい祭囃子が響いてきては、それらの気配が秩序なす社会の拘束を突き破って日常世界へ侵犯してくるのを感じていくことだろう。
自己の養育者として
「養育」ということはかに座にとって非常に大切なテーマだが、そのことについてランボーはある手紙の中で次のように書いている。
「詩人になろうと望む人間の探求すべきことの第一は、自己自身を認識すること、それも全面的に認識することです。自分の魂を探索し、綿密に検査し、誘惑し、学ぶことです。自分の魂を知ったら、すぐにそれを養い育てなければなりません」
これは簡単なようでとても難しいことだ。というのも、そうして育てるべき「自分の魂」とは同時に<まったく未知なもの>でなければならぬ、と彼は考えていたようだから。
自らの魂めぐる「未知」の領域を開けていくには、「秘密」か「盲点」が鍵となる。前者は他人は知らないけれど、自分だけは知っている自分を開示していくことによって。後者は自分は知らないけれど、他人は知っている自分について聴取していくことによって。
今週のかに座も、そのいずれかのトビラを開けていくことで、闇の領域のクリーチャーとしての自分自身と出会い、それらを育てていく端緒を開いていきたいところ。
今週のキーワード
強力なパワーの源としての獣性