かに座
自発的解放ということ
人間と猫
今週のかに座は、夏目漱石の『吾輩は猫である』のごとし。あるいは、自分中心の見方からそっと離れることで、爽やかな自己解放感を味わっていくような星回り。
「吾輩は猫である。名前はまだない。」は日本人ならほとんど知らない人がいないくらい有名なフレーズですが、猫の視点から人間社会の何気ない日常を見ていくこの作品が漱石の処女作というのも、いかにもモラリスト(人間研究者)然とした風情漂う漱石らしいと言えます。
そしてこれは猫を飼ったことのある人なら同意してもらえると思うのですが、ずっと猫と戯れていると、じつは猫の方こそが人間を相手に暇つぶしをしているのではないかという気がして来る時があるのです。
そんな時に思い出すのが、やはりモラリストの代表格であるモンテーニュの『エセー』に出てくる、次のような一節。
「真の友愛においては、私は友を自分の方に引き寄せるよりも、むしろ自分を友に与える」
おそらく、そうした友愛がどうして成り立ち得るのかと聞かれても、モンテーニュは「それは彼が彼であったから」であり、「私が私だったから」という答えるしかないでしょう。
同様に、太陽がかに座に入って夏至を迎えたばかり今週は、あなたもまた自分以外の何か誰かに自分を与え、遊ばれることを自分に許していくような感覚を抱いていきやすいはず。
モンテーニュとラ・ボエシ
ちなみにモンテーニュには、若くして亡くなったラ・ボエシという心の友がいました。
この人は18歳かそこらで『自発的隷従論』という本を書き、「圧制は支配される側の自発的な隷従によって永続する」という支配・被支配構造の本質を見抜いたとされる天才的人物なのですが、モンテーニュはどうもそんな彼と短くはあったけれど魂が混然一体となった交友を感じていたようです。
そして親友の臨終のおり、ラ・ボエシが発したとされる「別になんら不快な感じはしない」し、「特別悪いものでもない」という言葉に強く感化され、父への手紙のなかで、
「死が突然やってきても、それは別に事新しい知らせではない。いつでも靴をはいて出かける用意をしていなければならない」
と書き添えたのでした。
おそらくこれも、モンテーニュが多くの時間と親愛を友に与えてきたからこそ、感じ得た「解放感」なのでしょう。猫と人間、ひいては今週のあなたとあなたを取り巻く誰かにおいても、かくありたいものです。
今週のキーワード
ネコと和解せよ