かに座
目玉になろうという話
余計な力を入れないこと
今週のかに座は、世の来し方行く末をにらんでいる一個の巨大な目玉のよう。あるいは、根性と力で勝負していくのではなくて、広い視野を持って現実の潮目を見通していくこと。
以前どこかで、夕顔の花が咲くところを見たいとおもって夕方から一つのつぼみをずっと見ていたら、他のつぼみは開くのに、そのつぼみだけ開かずにしぼんでしまったという話を読んだのだけれど、その際、これは目の力が働いたのだというのです。
いわゆる科学の文脈において使われる「観測者効果」とも通じている訳ですが、案外この目玉になりきることの難しさについては言及されることが少ないように思います。
私たちはついつい目玉の代わりに頭を働かせたり、手を動かして、目の前の現実を自分の都合に合わせて絶えず変化させようとしてしまう。手は頑張り屋ですし、頭は物わかりがいいので、すべてを目の前の現実ありきで進めていってしまうんです。
つまり、「そもそもこれは何なのだ?」「なぜ自分はここにいるのか?」「自分はどこへ向かおうとしているのか?」といった俯瞰したまなざしを通して、ただありのままにものを見ていくということがなかなかできない。
ただ不安をかき消すために頑張ろうとするばかりで、じっとしているだけの我慢がきかないんですね。今週は世間もせっかくの休みモードですから、かに座のあなたもまた、できるだけゆっくりとした時間の流れに身を置いたり、ひとつの対象やまなざしの中で我慢をきかせてとどまっていきましょう。
目の訓練としての占い
よく「占いなんかで自分の人生を決めるな!」と怒る人がいますが、口実にしなければよい話であって、むしろ何か大切なことに気付いたり、自意識がやわらぐきっかけになる場合は、占いや夢を参考にするのはむしろ目の働きをよく促してくれます。
そもそも近道と遠回りのことを、いつから人々は「善と悪」に重ねるようになってしまったのか。近道と善なんて、ぜんぜん違う概念です。「善は急げ」はいいとしても、近道は善ではまったくない。
病める魂は薬(微量の毒薬)によって癒されることもあるけれど、これまでに犯した罪の重さまではどうにもしてくれません。むしろ無目的にさんざん歩きまわって、入り込みすぎていた力が抜けて初めてすこし気持ちが軽くなったりするんです。
見た夢を思い出そうとしたり、占いをしたりするのも、そういう遠回りに近いかも知れませんね。それは奇跡を授けてくれる神への祈りではなく、自分の運命を操る悪魔とのネゴシエーションなのであり、それこそが目の働きの真骨頂なのだと言えます。
今週のキーワード
観測者効果