かに座
糸を編みなおす
仏陀のように
今週のかに座は、悟りを開いた時、自分の前世を絵巻物のように観たと言われる仏陀のごとし。あるいは、「物語」の書き換えを、自らの人生において実践していこうとするような星回り。
ドイツの仏教学者ヘルマン・ベックは、仏陀が悟りを開いた際に体験した内容について、次のように描写しています。
「無数の世代にわたり、自分と他の生き物たちの生涯を観察し、次々に快楽と苦痛、好運と不運に遭遇したことをすべて知り、それぞれの生涯において、自分の名が何で、どの家柄、どの階級、どんな生活環境であったか、それぞれの生涯の寿命はどれほどであったか、ということを想起する」(『仏教』)
大多数の人は「悟り」への過剰な神聖視というか明らかな誤解から、こうしたことはあくまで特別な人の特別な体験であって、自分には何ら関係がないと思っている。
しかし、仏陀が体験したことようなことは、仏陀ほどではないにせよ、私たちの誰もが少なからず経験しうることであり、無意識的にせよ体験しているのです。
例えば、過去やこれまでの人生を振り返って、自分が望まなかった現実や、真実が何であったのかをはっきりさせる努力をしていくとき。
私たちは「自分」という登場人物を媒介に、虚構と事実、客観的歴史と主観的物語といった二項対立の境界を破って横断し、過去やこれまでの人生を再解釈していくことができます。
今週のかに座のあなたもまた、これまでどこか自明なものとしてとらえてきた自分の人生を、書き換え可能な物語として、必要なら赤字を入れ、プロットを組み替え、別解釈を導入していくことができるかもしれません。
蜘蛛のように
蜘蛛は何もないところに巣を張っていくという創造的行為から、北欧神話などでは「繁栄」や「知恵と労働」のシンボルとされてきた一方で、暗闇で活躍し、他の虫を罠にかけてその体液を搾り取ることから、キリスト教では「悪魔」「強欲」「狡猾」など真逆の意味を表す象徴ともされてきました。
ただその目的が創造と破壊のいずれかに映るにせよ、巣づくりという行為自体は明らかに未来を見据えた行動であり、よりよい未来を築くため、自分ののっている糸(意図)を編み直し、繕い続けていくということでもあります。
結論から言えば、創造目的だけで巣をつくる蜘蛛なんていないし、逆も然り。ただし、彼らはそれについて自分を責めることもなければ、余計な言い訳をすることもありません。
人間だってそんなふうに、素直に認めてしまえればいいのかも知れませんね。
今週のキーワード
無心