かに座
子どもにならう
戦略的半妥協
今週のかに座は、どんなに滑稽に見えようと構わず、顔をぐしゃぐしゃにして鳴き笑っている子供のごとし。あるいは、余計な力を抜いてラクに生きることを決意していくような星回り。
「他人の視線に刺される」という感覚や「世間の目に肝を冷やす」という経験は、それを本当に体験した人にとってまさにトラウマ級の衝撃を与えますし、思った以上にいつまでも引きずってしまうことがあるものです。
特にこの国では、いたるところで「おまえはひとりで生きているのではない」というお説教をされるので、「みんなのお陰で生きている」という思想が蔓延し、それが裏返って「みんなに好かれ、受け入れられないと生きてはいけない」という悩みの種となってしまう。
こうした世間からのごうごうたる攻撃(という被害妄想)から逃れるため、友達もパートナーも自分は作らないんだ、などと決め込んだりしてはかえって逆効果。
普通に暮らして何者でもない自分を受け入れて、肩の力が抜けてきたところで、世間や周囲から「あいつなら、まっ、仕方ないか」と見逃してもらうようになるのが1番なんです。
今週は、世間や周囲の誰かとムキになって戦うのをやめて、「戦略的半妥協」とでも言えるような世渡りの術を覚えていくことをテーマにしていきましょう。
小利口をやめる
ふつう人は、自分の人生が破綻したり、脱落したりすることを多大なる不幸だと思い込んでいます。ですがそれは、「戦略的半妥協」の観点からすればやっと訪れてくれた幸福であり、楽に生きていくための最大のチャンスなのだと言えます。
想定内の生が破れ、職業や名誉や家庭や財産など、何かしら喪失していった時にはじめて、この世のほんとうの姿を垣間見、そこで私たちは「人間とは何か」ということを少しだけ悟るのです。
ただし、せっかく人間に生まれながら、人間とは何かということを知らずに、人生を終えてしまう人間が世の9割である、といっても言いすぎではないでしょう。そういう小利口な人間になることを、日本人はいつから大人になるとか、成熟と呼ぶようになったのでしょうか。
小利口をやめるには、子供にならうのが一番です。子供にならって、喪失を経験していくとき、そこから本当の意味で人生は始まっていくのかもしれません。
今週のキーワード
フツーに。ラクに。