おひつじ座
眼差しを返す
朝顔と松
今週のおひつじ座は、「僧朝顔幾死にかへる法の松」(松尾芭蕉)の句のごとし。あるいは、ふと、かけられた言葉の中に、自分を見守ってくれている者の眼差しを感じとっていくような星回り。
これは、芭蕉が奈良の当麻町にある二上山禅林寺に逗留した際に詠まれた一句です。当時のお寺は、いまでは想像もつかないほどの賑わいがあり、朝早くからたくさんの小僧さんや逗留者たちが行き来していました。
そして何百年、時には千年を超えて寺を見守り続ける松からしてみれば、そうした寺の僧侶たちの命は早朝に咲いて夕方にはしぼんでしまう「朝顔」の花のようなはかない存在に映るでしょう。
そうであるにも関わらず、長い年月にわたって伽藍とともに仏教の教えが保たれているのは、他でもない「法(のり)の松」がこちらをつねづね眼差しており、そのことに気付いて眼差しを返す僧が代々生まれてきたからに他なるまいと、芭蕉は思っていたのかもしれません。
今週のあなたのテーマは、そんな松のごとき眼差しにいかに自身を開いていけるか、という点にあるのだと言えるでしょう。
おむすびの海苔(のり)
いのちあるものは現れては消える。しかし掲句は、そうしたはかない命のすぐそばに、なにかこの世を超越した存在を幻視したものとも解釈できるかもしれません。
法の松の「法」とは「諸法実相」のこと。すなわち、さとりの世界から見た森羅万象の真実の姿の象徴的表現であり、それは「おむすびの海苔」のようなものだろう。
田成るもの(いのちや、いのちの営み)を一枚の「のり(法)」
で包んでくれているという訳だ。
私たちは誰もが、束の間の間あっちから出てきて、しばらくの時を過ごしたらまたあっちに帰らなくてはいけない。これも法なのであって、芭蕉の気持ちもそこにある。そしてそれを静かに見届けてくれている松の木へとふっと思いを馳せることで、私たちは救われることがある。
今のあなたに必要なのも、そうした、静かに見届けてくれている誰かへ重いを馳せるような類の救いなのではないかという気がします。
今週のキーワード
法の松