おひつじ座
盲目か探求か
他者は本来いたって不可解
かつてゲーテが「人間は、不可解なものも理解できるという信念を持ち続けなければならない。さもないと、探求をしなくなるだろう」と述べていた通りのことを、今週のおひつじ座に投げかけておきます。
人間にとって「不可解なもの」の最たる例は、何と言っても同じ人間でしょう。あなたは人間を、他者を探求していますか? あるいは、そう遠くないうちに探求しようと思っていますか?
答えがYESなら、それはなぜでしょうか? 「不安だから」あるいは「驚きたいから」という理由ならば、恐らくあなたは健全な人なのだと思います。
しかしもし「理解を深めたいから」という答えが口を出てくる場合は、要注意かもしれません。
旺盛な理解力の持ち主は、自然の中でもっとも奥深いものを記号やレッテルと結びつけ、何かが分かったと思い込もうとする傾向にあり、活動的な無知ほど恐ろしいものはないからです。
そういう人は、実際には何も探求しようとしてません。
大損する覚悟はできているか?
誰かほかの人間について探求しようと思ったら、まず自分の理性ではなく感覚が自然と導かれるままに行動していく必要があります。
もっと端的に言うと、誰と付き合おうと、「大損する覚悟」ができて初めて、レッテルや表層的な記号の奥へと一歩前に進んでいくことができる、ということ。
使うお金であれ、かける時間であれ、人は何かによって情けない姿にされてみなければ、どうもその何かを「不可解」と感じることができないようになっているんです。
そして、その不可解さを通して何かに根源的な怖れを抱くとき、そこから人は探求者の道を歩み始める。
探求者は面倒臭い人種ではありますが、みずから多くの人生の醍醐味を味わい、それを分け与えていくことができる。
今週は、人間関係において一風変わった、実験的な試みに躊躇なく入っていきやすい時と言えそうです。
今週のキーワード
活動的な無知ほど恐ろしいものはない