おひつじ座
別世界通信
着の身着のまま
今週のおひつじ座は、『月の人のひとりとならむ車椅子』(角川源義)という句のごとし。あるいは、素知らぬ顔で遠いところへ足をのばしていくような星回り。
亡くなる直前に詠まれた句。作者が病室の窓から秋の月を見ていたであろうことと、自身の死をすでに予感していたであろうことは想像に難くありません。
「月の人のひとりとなる」とは死者の側に回っていくということ。とはいえ掲句からは死への恐れや未練たらしいやるせなさ、狂気といったものは感じられず、淡く白い月光のなかをゆっくり上っていく作者の姿が映像となって浮かんでくるようで、どこか童画的なノスタルジックな雰囲気が漂っています。
しかし、この句が月並みさに陥っていない最大の要因は「車椅子」の存在でしょう。普通なら、病気や老いといった現実から自由になった解放感で、全身を飛びあがらせていくようにイメージさせるところですが、あえて車椅子にすわったまま、素知らぬ顔で月へ向かっていく景を描くことで、他にはない個性とあじわい深さが出ているように思います。
ともに添えるのが身近で具体的な「物」であればあるほど、かえって秋の月の放つ光の冷たさやさわやかさや非日常性を際立たせてくれるものなのかも知れません。
9月11日におひつじ座から数えて「哲学と旅」を意味する9番目のいて座で上弦の月(行動の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、いっそ「月の人」になっていくつもりで過ごしてみるといいでしょう。
街角に可能世界の響きあり
例えば、舞台演劇やミニシアター系映画の冒頭部などには、「あの」という呼びかけとそれに対する「え」という反応から始まるシーンを時たま見かけることがあります。
「え」という反応は、すぐに「えき?」という単語にスライドし、「分かりますか?」という交流に変わっていく。そうして両者の言葉がまじりあいつつもやり取りをくりかえし、「あの駅からこの道をまっすぐ行って、突き当りを右に曲がると」という道案内までたどり着くと、当初の不安げな危うい雰囲気はサッと消えてしまう。またもとの閉じた日常へと戻ってしまう。その、少しホッとするような、どこか残念なような、切ない気持ち。
あれは何だろう。そこで感じるのは、かすかな喪失の手触りと、あり得たかもしれない、しかし、実際にはあり得なかった可能性へのうっすらとした悲しみでしょう。誰かと交わす言葉の反復と変奏には、「あの」「え」という単純な発語から取り出される無限の可能性と、閉じた日常が開かれていく可能世界の響きがつねに孕まれているのです。
その意味で、今週のおひつじ座もまた、そんな心当たりを手がかりに、いつも通りのまなざしや言葉の応酬から、少しだけ遠くへと自分自身を解き放っていくことができるはず。
おひつじ座の今週のキーワード
別世界の消息を追っていくこと