おひつじ座
この世の現実をひっくり返す
エンデの遺言
今週のおひつじ座は、友愛による経済の実践について。あるいは、あえて「資本主義の終わり」を想像していこうとするような星回り。
ミヒャエル・エンデは『はてしない物語』など本格的なファンタジー小説の書き手として知られる人物ですが、同時に、長年にわたってお金について追究し続けた思想家でもあり、そのラストインタビューで、現代社会の混迷の原因について次のように述べていました。
人間は三つの異なる社会的レベルのなかで生きています。誰もが国家、法のもとの生活に属しています。生産し、消費する点では経済生活のなかで生きています。そして美術館も音楽会も文化生活の一部ですから文化生活も誰もが行っていることです。この三つの生の領域は本質的にまったく異なるレベルです。今日の政治や社会が抱えてる大きな問題は、この三つがいっしょにされ、別のレベルの理想が混乱して語られることです。(…)フランス革命のスローガンである「自由・平等・友愛」は革命前からある言葉で、もとはフリーメーソンのスローガンにほかなりません。この三つの概念は、いま話した三つのレベルに相応します。すなわち、自由は精神と文化、平等は法と政治、そして今日ではまったく奇異に聞こえるのですが、友愛は経済生活です。(河邑 厚徳、グループ現代『エンデの遺言―根源からお金を問うこと―』)
この「経済が友愛で成り立つべき」という主張は一見すると子どもじみたユートピア思想にも聞こえますが、分業体制という生産方式がしばしば他人を踏みにじったり、踏みにじられたりといった苦々しいものになっているのは、「所得と職業、報酬と労働が一つになってしまっている」からだという指摘の正鵠(せいこう)さを鑑みると、さまざまな意味で歪んだ現代社会をとらえかえす可能性のあるものという気がしてきます。
4月24日におひつじ座から数えて「親密な交わり」を意味する8番目のさそり座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、仕事の収益を自分の当然の権利として要求したり、収益をできる限り私有しようとすること、自分の業績ばかり気にすることがどれだけ物心の貧しさをもたらすか、また、どうしたら共に働くことでもたらされる癒しが大きくなるか、ということについて、じっくりと考えてみるといいでしょう。
熊楠と猫楠の会話
水木しげるの『猫楠―南方熊楠の生涯―』は、“幸福観察猫”である猫楠の視点から、日本を代表する民俗学者で粘菌研究者でもあった南方熊楠(みなかたくまぐす)の生涯を描いた作品であり、そこでは世の常識から隔絶したさまざまな議論が軽妙な会話形式で開陳されていきます。
熊楠「粘菌の世界をみても死んだとみえる状態に似ているときに粘菌は最も活躍してるんだ」
猫楠「すると人間は死んだと思われ無だと思われている時の方が本当に生きているのかもしれないナ 人間は死後なにもないと思うのは間違いだナ」
熊楠「案外 死んで無くなってしまったというときに意想外の誕生があって 我々が無上の価値だと思った“生”は実は“地獄”だったということもあるわけじゃョ」
粘菌(変形菌)は変形して移動するアメーバ状の変形体と、まったく動かない子実体という2つの異なる在り方をもち、植物界にも動物界にも属さない原生生物界に分類されています。
鶴見和子によれば、熊楠が粘菌に着目したのは、それが動植物の境界領域にある生物であり、生命の原初形態や遺伝、生死の現象などの手がかりがつかめるのではないかという動機付けがあったのだそうですが、つまり、粘菌は人間世界の常識をひっくり返した逆説を例示する存在だったという訳です。
今週のおひつじ座もまた、そんな熊楠よろしく、常識をひっくり返していくための具体的な手がかりを掴んでいくべし。
おひつじ座の今週のキーワード
「我々が無上の価値だと思った“生”は実は“地獄”だったということもあるわけじゃョ」