おひつじ座
身の行く末をめぐって
個人の物語と集団の現実のはざまで
今週のおひつじ座は、『冬曇(ふゆぐもり)身の行く末を機械にもたれ』(細谷源二)という句のごとし。あるいは、不意に自身の限界や弱さの訪れを察知していくような星回り。
少しずつ確実に日も短く、太陽の光も弱くなって、空がどんより曇っていたりすると、ああ季節が冬に変わったんだなと実感することができますが、掲句はそこに抒情性だけでなく、生活の体験に基づく社会性が入り込んだすぐれた一例と言えます。
しかし、生活意識ばかりが先だつと、単なる愚痴になってしまったり、どこかで聞いたことのあるスローガンのようになっていたりして、これだと文学(個人の物語)を政治(集団の現実)に従わせる間違いを犯してしまう。やはり文学と政治は同等の位置にあって平行線をたどるべきものであって、安易な予定調和におさまることを許さないその鋭い緊張関係においてこそ、はたらく人間の常においもとめる美であったり、何らかの真実をそこからつかみ出していくことができるのではないでしょうか。
掲句の「機械」はおそらく工場の製造機器のようなものでしょう。働きづめで過ごしている中でとった休憩時間などに、すっきりとした秋とは異なる、冬独特の不透明な空を見上げて、思わずそこに「身の行く末」が重なった。こういう何気ない瞬間に見せる立ち姿であったり、背中の表情なんかに、人間の真実というものが出るのかも知れません。
13日におひつじ座から数えて「息継ぎ」を意味する8番目のさそり座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、ハッと息をのむような緊張のなかで自身の身に迫りくる危機や苦難を感じとっていくべし。
アフリカ原住民の見た「鶏」
人間の知覚=精神の変容の歴史を扱ったマクルーハンの『グーテンベルクの銀河系』には、ある衛生監視員がアフリカ原住民の部落で、衛生上の処理の仕方を映像を見せることで伝えようとした際のエピソードが紹介されています。その映像は作業の様子をゆっくりと撮ったものだったのですが、
映画を原住民に見せ、彼らに何を見たかを尋ねますと、彼らは一羽の鶏を見たと答えました。しかし、私たちの方では映画に鶏が写っているということは知らなかったのです!そこで、私たちはこの鶏がどこに写っているのか調べるために、フィルムを一コマずつ注意深く見て行きました。すると果たして、一秒間、鶏が画面のすみを横切るのが写っていました。誰かにおどかされた鶏が飛び立って、画面の右下の方に入ってしまったのでした。これが原住民たちが見たすべてだったのです。
画面全体を見るというお約束を知らない原住民にとって、映画を見るという行為は画面の細かい部分のみに注目するということであり、同様に、彼らにとって病気は個人のからだの故障などではなく、生活を脅かす未知の顕われであり、個人の悩みである以前に、部族全体にとっての何らかの予兆であり、社会的な現象だったのです。
今週のおひつじ座もまた、集団的な不安や因縁を夢や第六感を通して感受していきやすいでしょう。
おひつじ座の今週のキーワード
社会的現象としての予兆