おひつじ座
羽を伸ばす
馬車のうしろでうたたねした記憶
今週のおひつじ座は、トラルファマドール星人からビリーへの助言のごとし。あるいは、「幸福な瞬間」の記憶へと思い切ってジャンプしていこうとするような星回り。
SF作家カート・ヴォネガット・ジュニアの作品に『スローターハウス5』という小説があります。主人公はビリー・ピルグリムという男で、ひょんなことから、人生のいろんな場面に、自分の意志とは無関係にジャンプしてしまうようになります。
第二次大戦に従軍した際、ドイツのドレスデンで13万人超もの命を奪った大空襲を経験し、除隊後は金持ちの娘と結婚して眼鏡屋になって成功し、結婚式の晩にトラルファマドール星人にさらわれて動物園に入れられ…。そんなジェットコースターのような人生を、小説ではあちこちに飛びながら読者も追体験していくのです。
トラルファマドール星人は四次元空間に存在しており、すべての時間を同時に視ることができるのですが、小説のなかばで主人公に次のようなアドバイスをする一節があります。
人生のなかばを過ぎるころ、トラルファマドール星人がビリーに助言することになる。幸福な瞬間だけに心を集中し、不幸な瞬間は無視するように──美しいものだけを見つめて過ごすように、永劫は決して過ぎ去りはしないのだから、と。もしビリーにその種の選択が可能であったなら、彼はもっとも幸福な瞬間として、馬車のうしろで日ざしをいっぱい浴びながらうたたねしたこのときを選んだことであろう。
人は永く生きていれば、必ずどこかで自分や他人の取り返しのつかないような愚かさに直面することがありますが、そうした事実を事実として受け止めたまま直線的に生き切ることは、おそらく人間には難しいのでしょう。
10月29日におひつじ座から数えて「生きがい」を意味する2番目のおうし座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、そんな瞬間を改めて選択するべく時間旅行に踏み切っていくべし。
流れとしての思考
液体、あるいは流動体のようなぴちゃぴちゃした私というイメージは、立場や肩書に固定され、特定の土地に繋ぎ止められて生きている近代人にとって、一見ふしぎな感じを覚えるかも知れません。しかし、「考える」という機能こそが人間を人間たらしめてきたことを考えると、そうなるのも至極当然のような気もしてくるのです。
例えば、「考える」という言葉はもともと「か身交ふ(かむかふ)」から来ていますが、最初の「か」には意味はなく、身をもって何かと交わり、境界線をあいまいにしていくことで、そこに新たな思考を生みだしてきました。
闇の中で揺れるあやしい光に、風のそよぎ、月から漏れる柔らかな音楽。そういうものと直接向き合いながら環境をたゆたっているうちに、外なる自然と内なる自己が交わって、親密な関係となり、そこでひとりで部屋の中で考えているだけじゃ思いつかないようなことが引き出され、既存の常識が破られていく。
そこには媒介としての身体と、流動体のようにゆらめき、絶えず変化していく私があり、そこで思考がひとつの潮流となってどこかへ流れていくとき、その流れは身体を通して交わった者の思考をいつの間にか別次元へと連れ去っていくはず。
今週のおひつじ座は、そんなことを念頭にできるだけ羽目をのばしていきたいところです。
おひつじ座の今週のキーワード
「幸福な瞬間だけに心を集中し、不幸な瞬間は無視するように」