おひつじ座
亀裂に足をとめる
白昼の街の奇妙さ
今週のおひつじ座は、『夏の昼また沈黙につきあたる』(柿本多映)という句のごとし。あるいは、これまでの主義主張や確固としていた意図がいったんリセットされていくかのような星回り。
やけつくような夏の日中は、日差しが真上から射すため影がなくなり、それに呼応するかのように人の気配も消えていくため、どこかひっそりとしている。
そうして、不意に「夏の昼」の街中へと繰り出した者は、作者が体験したような奇妙な「沈黙」につきあたる訳だ。しかしなぜ、沈黙に支配された白昼の街というのは、こうも奇妙に感じられるのか。
それは、生きているはずなのにまるで死んでいるようだから。より厳密には、適度な陰影であったり、視界に人影など自然な動きがなくなった光景というのは、意味や習慣によって色づけされてしまう時が流れ始める以前の世界、いわば「赤ん坊が初めて見た光景」を思い起こさせるからではないか。
そこには主義主張も、どんな意図も感じられない。日常と地続きであるはずなのに、そこではどこかで原初的な領域に立ち入ってしまっているのだろう。私たちはそういう領域に何かの拍子にふっと足を踏み入れてしまうことが時たまあって、そこでは浮いているというか、ボーッとするというか、まるで時が止まってしまったかのような不思議な感覚に陥ってしまうのだ。
7月10日に自分自身の星座であるおひつじ座で下弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、そんな時間以前の領域や、奇妙な「沈黙」に中にひっそりとたたずんでいくべし。
日常と演技と亀裂
日頃より懸命にこの世を生き、平凡なサラリーマンであれ、家庭を支える大黒柱であれ、自由だけれどさみしい独身中年であれ、演じている役柄に熱心に打ち込めば打ち込むほどに、「本当の自分は何者なのか?」といった問いは、どんどん忘れ去られていく。というより、そうした忘却こそがこの世でうまく生きていく上での大前提なのだ。
しかし時折、役柄上の自分は本当の自分自身ではないのだということを、ふと感じてしまうことがある。一度それが出てきてしまうと、目の前で展開されていく現実劇や演技においてNGを出したり、これまでスムーズに乗れていた脚本に乗れなくなったり、慣れ親しんだ日常舞台が、とたんに嘘っぽく、居心地の悪いものになっていくもの。そう、掲句のような奇妙な沈黙をともなって。
同様に、今週のおひつじ座もまた、ふとしたきっかけから亀裂が入り、そこからニョッキリと顔を出してくる違和感や不安が無視できなくなっていくかも知れません。
おひつじ座の今週のキーワード
「本当の自分は何者なのか?」