おひつじ座
人類は間違っているかも知れない
常に正しい認識などありえない
今週のおひつじ座は、確かな拠り所としての「無常識」。あるいは、勇気をもって自分のまなざしに革命を起こしていこうとするような星回り。
アーティストで研究者のハナムラチカヒロは『まなざしの革命―世界の見方は変えられる―』のなかで、危機の時代においては「常識とは何か」と問うのではなく、「常識はどのように生まれるのか」、そして「常識はどこにあるのか」と問いかけ方自体を変えることを提案しています。
すると、“常識”というのは自分の感覚や思考を通して徐々に形作られるものである一方で、外部から情報を繰り返し与えられ、教育されることであっという間に形成されるものでもあり、特に後者のプロセスが悪用されやすいものであることが分かります。そして実際、「法治国家が資本主義経済と合わさる中で」、あるいは「非常事態」の口実のもとで、私たちの基本的人権がますます制限されつつある現状がそうしたケースに当てはまる可能性はやはり極めて高いのだと言えます。
ハナムラはいまだこうした事態の最中にある現代社会ついて、常識が通じない「非常事態」というよりもはや「異常事態」であると警告しつつも、次のようにも述べています。
世界が大きく別の形に変わるタイミングには、これまで私たちが無意識にかけていた色眼鏡が外れる。(…)そんなときこそ既存の法に縛られない無法者、あるいは次のルールを生みだす革命家のように、勇気をもって自分のまなざしに革命を起こす機会だと私たちは捉えるべきかもしれない。(…)何が起こるか分からないこの世界では絶対的なものはなく、常に変化して「無常」に移ろうことだけが普遍的に正しいと言える。だから私たちは常識ではなく常に正しい認識はないという「無常識」こそ本来は拠り所にすべきだ。
6月21日におひつじ座から数えて「心的基盤」を意味する4番目の星座で夏至(太陽かに座入り)を迎えていく今週のあなたもまた、誰かの口にする「常識」より、それは間違っているかも知れないという自身の直感を大事にする「無常識」にこそ立ち返っていくべし。
“玩具”は捨てるべし
それまでほとんど無名だったジャン=ジャック・ルソーは、38歳の時に「学問と芸術は習俗の純化に貢献したか否か」という題目に対する懸賞論文において、啓蒙主義全盛の社会情勢下にも関わらず、大胆にも学問や芸術こそ人々を退廃させたのだと否定的な論陣を張ることで、一躍有名になっていきました。
『学問芸術論』はそうした主張をまとめた小論であり、彼はそこで学問の進歩が傲慢な精神や贅沢の蔓延をもたらし、18世紀半ば当時の学問芸術を“単なる貴族の自己満足でしかない”と厳しく糾弾したのです。
とはいえ、彼はそこですべての学問を否定した訳ではなく、知識の教育ではなく徳の教育こそが必要であり、そのためにはなくても困らない玩具のような「貴族の学問」はいったん捨てて、長年染みついた文化のしがらみを取り去ることで初めて、「誠実や歓待」などの本当に必要な徳の大切さが身に沁みてくるのであり、それを促す限りにおいて学問や芸術は意味を持つと考えた訳です。
確かに、学問を身につけたり、何かしら“専門家”然としてくると、人類の見識を過信しすぎてしまったり、自然やこの世界の在り様に対する畏敬の念を失っていくというケースは現代でも珍しくありません。むしろ、「自然に還り良心の声を聴くべきである」というルソーの主張は、現代においてその重要性が増しているように思えます。
その意味で今週のおひつじ座もまた、いつの間にか生じていた無意識的な“偏り”をただしたり、習得した知識に囚われずに何かを判断してみたりといった動きが活発化していきやすいでしょう。
おひつじ座の今週のキーワード
自己満足的な知識はかえって毒となる