おひつじ座
舌打ちに逆らって進む
法を破る精神
今週のおひつじ座は、「アナキスト柔軟体操」のごとし。あるいは、理にかなわぬ「法」をみずから破ってみせようとするような星回り。
文化人類学者のジェームズ・C・スコットは、ベルリンの壁崩壊の翌年の旧東ドイツの町の駅前の広場で、5、60人もの人びとが、5分以上にわたって理不尽なほど長く切り替わらない信号を辛抱強く待っている奇妙な光景に遭遇したことを印象深く述べています。
そして、この光景をのべ5時間ほど観察しているうち、スコットは2回ほど、ひとりの歩行者が信号を無視して交差点を渡っていくのを目撃したのだとか。その歩行者は、信号待ちをしている人びとのあいだで一斉に生じるざわめきと舌打ちに逆らって歩き続ける。
周囲の非難の声と眼差しに逆らって単に通りを横断するだけでも、一体どれほどの勇気をふりしぼらなくてはならないものかと私は驚嘆した。人びとからの非難の圧力に対して、私の合理的な確信はひどく脆く思われた。強い確信を抱いて交差点に向かって大胆に大股で歩きだすことは、より鮮烈な印象を与えた。だが、それをするためには、通常以上の勇気を奮い立たせる必要があった。(『実践 日々のアナキズムー世界に抗う土着の秩序の作り方ー』)
もちろん、信号無視であったとしても、どのような時ならば「法」を破るのが理に適うのかを判断するには、相当に慎重な検討を要します。その意味で、6月11日におひつじ座から数えて「義務」を意味する10番目のやぎ座へ「死と再生」を司る冥王星が戻っていく今週のあなたもまた、本当にそれが求められる重大な時のために、いかに法を破る精神を耕していけるかが問われていくでしょう。
「今川焼を焼いている悪魔」
冒頭の言葉は、俳優で小説家の戌井昭人が『楢山節考』で知られる作家の深沢七郎を評したもの。実際に深沢は作家だけでなく、墨田区の曳舟あたりで今川焼屋のおじさんをやっていたり、各地を放浪したり、ラブミー農場をやったり、ギター弾きだったりと職業もコロコロ変わっていたのですが、そうした肩書き以上に得体の知れない男だったようです。
いわく、
「ボケーっとしていると思って近づいたら怒鳴られてしまう感じです。自然体のようではあるが、どこか胡散臭く、田舎者のように振る舞いつつも、凍るような冷徹さと粋さも備わっている。そもそも、あの時代にギターなんて、相当な洒落者である。(…)それは現実を突き放し、悪魔のような目線で、地面から覗き見している感じです。つまり庶民の中に潜んでいるような庶民ではなくて、庶民の素振りをして今川焼を焼いている悪魔といった感じでしょうか。」(『深沢七郎の滅亡対談』)
どこか懐かしく親しみやすい今川焼と凍るような冷徹な目線の悪魔が一体化してしまう。そうした「もの凄いふり幅の矛盾」こそが、深沢の魅力に他ならなかった訳ですが、現代社会というのはそうした矛盾や裏表ということをどんどん許さなくなってきているように思います。
その意味で、今週のおひつじ座もまた、深沢ほどではないにせよ、自身のなかに庶民との「ふり幅」をつくっていくことがテーマであり、自然とある種の根源的な不可解さを感じる相手に惹かれていきやすいでしょう。
おひつじ座の今週のキーワード
得体を安易に掴ませないでいること