おひつじ座
敗けてナンボ
いびつさを愛でる
今週のおひつじ座は、アンダーソンの『ワインズバーグ、オハイオ』の一節のごとし。あるいは、「いびつな者たち」の一人として自分を見なしていくような星回り。
シャーウッド・アンダーソンの『ワインズバーグ、オハイオ』は、19世紀後半、牧歌的なアメリカの田舎町が産業化の波のなか徐々に変わっていく架空世界を舞台に、そこに暮らすどこか変わった人たちを描く短編集。その冒頭に、作者自身と思われるある作家が「いびつな者たち」についての本を書いているという描写があり、その本の構想について次のように述べられています。
世界がまだ若かった始まりの頃、数知れぬ考えがあったが、真理といったものはなかった。人間は一人でいくつもの真理を作り、それぞれの真理が多くの漠然とした考えの集まりだった。こうした真理が世界の至るところにあり、それもみんな美しかった。(…)処女性の真理があり、情熱の真理があり、富と貧困の真理があり、倹約と浪費の、不注意さと奔放さの真理があった。そこにたくさんの人びとがやって来た。それぞれが真理の一つを引っ掴み、とても強い者は十幾つもの真理をまとめてかっさらった。人びとをいびつにしたのは真理であり、老人はこの件に関して精緻な理論を作りあげていた。人びとの一人が真理の一つを掴み取り、自分の真理と呼んで、それに従って生きようとすると、その人物はいびつになる。そして、彼が抱いた真理は偽物になる。これが作家の考えだった。
実際、この小さな町の住人は、いずれも奇怪な、いびつな面を持っている人物として描かれてます。しかし、それは誰もが持っている心のひび割れであり、その意味では彼らの“いびつさ”の本質は「恐ろしい醜怪さ」というより「滑稽な愛おしさ」にあるのです。
16日におひつじ座から数えて「内省」を意味する6番目のおとめ座で下弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、ごく普通の暮らしを送りながら不安や孤独、疎外感などに苛まれる住人たちを丁寧に描くアンダーソンのように、自分の負の部分も含めて静かに受け入れていきたいところ。
敗者たる矜持
歴史は勝者によって書かれ、作られるということがしばしば語られます。例えば、幕末から明治にかけ、新政府軍と旧幕府軍とのあいだで起きた戊辰戦争においても、敗れた諸藩の出身者たちはあらゆる新階層秩序の要職から実にきれいに排除されていきました。
ですが、一方で私たちは時おり思いだすのです。「歴史をかえてゆくのは革命的実践者たちの側ではなく、むしろくやしさに唇をかんでいる行為者たちの側にある」(寺山修司、『黄金時代』)のだということを。
つまり、「敗者」がいてこそ歴史は成り立っていくのであり、その意味で「敗者」こそが産婆のごとき役割を担って、真実というものを人びとの記憶に刻んでいくのだと。むろん、最初から自分から敗者になろうとするような人はいないでしょう。
ゆえに、自身の存在を語る上で強化法や自身の利得ありきでいることが許されなかった、「図らずも犠牲になった」者たちの一部が「語り部」となることで、「歴史」に対抗しうるような「物語」がそこではじめて紡がれていくのです。そう、36歳の時にこれまでの経営者としての肩書も、妻子さえも捨てて“蒸発”したのち、作家として歴史に名を残したアンダーソンのように。
今週のおひつじ座もまた、そんな「敗者」の視点から自身の立場や為すべきことというものを改めて考えてみるといいかも知れません。
おひつじ座の今週のキーワード
敗けがあってこそ物語は引き立つ