おひつじ座
来たるべき未来へ至る道
冬日を歩む
今週のおひつじ座は、『教会のやうな冬日を歩みをり』(石田郷子)という句のごとし。あるいは、自分がこれから歩んでいこうとしている世界線をしみじみと見つめていこうとするような星回り。
この世には単純だからこそ難しいことがある。というより、おひつじ座にとって人生とはそういうものであるようにさえ思えます。その意味で、掲句にもまたそのライトな印象とは裏腹に、すんなりとは読みこなせない難しさがあります。というのも、「冬日」には「冬の太陽」「冬の日ざし」「ある冬の一日」といった複数の意味があり、そのいずれかによって文脈も異なってくるから。
もし曇りがちな冬空に見え隠れする弱弱しく心許ない太陽を意味しているなら、この場合の「教会のやうな」とは、十字架の上のキリストのような自己犠牲と苦難を余儀なくされたどこか重苦しい雰囲気をまといますし、清らかに降りそそぐ冬の日ざしを意味しているなら、その聖堂の内部のような空気感を肌で感じながら、不思議なほど厳かな気分で街路を歩いているイメージが浮かんでくるはず。
また、寒さが厳しく家にこもちがちな冬の1日であれば、どこか修道僧のような質素で妙に朝の早い暮らしぶりを想起するところでしょうか。
どれを選ぶかは読者に委ねられている訳ですが、ここではやはりあまり解釈をこねまわさず、シンプルに最初に目に浮かんだ光景に近い解釈を選んでみるといいでしょう。その意味で、11月8日におひつじ座から数えて「深い実感」を意味する2番目のおうし座で皆既月食を迎えていく今週のあなたもまた、これからどの道を歩んでいきたいのか、実感と照らしながら考えてみるといいでしょう。
あ、そうだったのか
ぼくたちはすこしも自分のもとにはいないで、つねに自分の向こう側に存在する。不安や欲望や希望がぼくたちを未来の方へと押しやり、ぼくたちから、現に(今この瞬間に)存在していることについての感覚や考慮を奪い去る(モンテーニュ『エセー』)
モンテーニュが指摘するこうした傾向は、現代においてますます強まっているように感じられますが、ここには奇妙な逆説があります。
すなわち、未来時のある到達点にいたりたいなら、本来足もとの大地を一歩一歩踏みしめていかなければそれはありえないのに、私たちは道を歩まず、道を知らずにあたかも「どこでもドア」を前にしているかのように、いきなり目的地へたどり着くことを期待しているのです。それは来たるべき未来への近道どころか、むしろ反未来主義的な態度とさえ言えます。
間近にありすぎるもの(「今ここ」)は、かえって朦朧としてリアリティを感じないものですが、しかし着実に来たるべき未来(目的地)へ至る道はそこにしかありませんし、それこそが「教会やうな冬日を歩む」ということでもあったのではないでしょうか。
その意味で、「ゆっくり行く者が、遠くへ行く」というイタリアのことわざは、今週のおひつじ座にとってよき指針となっていくことでしょう。
おひつじ座の今週のキーワード
足もとの大地を一歩一歩踏みしめること