おひつじ座
死線を超えて
踏み越えるべきもの
今週のおひつじ座は、『起き伏すもをみなひとりぞ雁わたる』(桂信子)という句のごとし。あるいは、“どうせ”から“だからこそ”へと踏み越えていこうとするような星回り。
「起き伏す」とは起きたり寝たりすることで、夜ぐっすりと寝ることもままならないこと。「をみな」は若い女をあらわす古語。この句は1950年に作られましたが、作者は1941年に26歳で夫を病気で失い、以後会社員として自活しています。
夜中になっても眠れず布団でもぞもぞしていると、遠くのほうで雁(がん)の鳴き声が聞こえたのでしょう。その声を亡き夫を恋う自分の声であるかのように重ねながら、しばし呆然としていたのかもしれません。
いずれにせよ、ここでは夫を失って数年が経ち、よりいっそう孤影が深まっている様子が伝わってきます。かりそめの幸せをいくら味わおうとも、人は寝入るときも覚めるときも、生きるときも死ぬときも、結局は一人なのだという自覚が、改めて刻み込まれていくかのようです。ただ、そこから“どうせ”と内に閉じていくか、“だからこそ”と外に開いていくかは人によって分かれるところでしょう。
25日におひつじ座から数えて「絆」を意味する8番目のさそり座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、自分がたぐり寄せようとしている縁や、為そうとしている絆をどれだけ大切にしていけるかが問われていくはず。
危機における生命の本能
疫病、災害、飢饉などが猛威をふるっていた鎌倉時代に書かれた『方丈記』の中に次のような一節があります。
さりがたき妻、をとこ持ちたるものは、その思ひまさりて、かならず先立ちて死ぬ。その故は、我が身をば次にして、人をいたはしく思ふあひだに、まれまれ得たる食物をも、かれに譲るによりてなり。
どうしたって恋はしんどい。愛だなんだと言っているのも、キリストの昔からみんな苦しみにのたうち回っている人間ばかり。だから、誰かとどんなに親しく恋しい仲になっても、食いものが譲れなくなったらこの一文を思い出して、きっぱり別れてしまうといい。それは単に恋の終わりである以上に、なにより生き死にの別れ道なのだから。
生きていればこそ、ほかの誰かと交われる。おいしいご飯も食べられるし、ああ綺麗だなと思える光景にも出会える。とことん気が済むまでいのちを味わえる。
その意味で、今週のおひつじ座もまた、自分なりの危機への向き合い方を再確認していくことになるはずです。
おひつじ座の今週のキーワード
これだけは忘れてはいけないという最後の一線への自覚