おひつじ座
月光は謎を映し出す
不意に浮かび上がってくるもの
今週のおひつじ座は、「灯を消すやこころ崖なす月の前」(加藤楸邨)という句のごとし。あるいは、できるだけ心の深いところまで眼差しを届かせていくような星回り。
月夜の晩は、灯を消しても十分部屋のなかでも明るい。掲句もまた、一日の終わりにそうして月を仰ぎながら、何かを思いめぐらせている句なのでしょう。
「こころ崖にす」という心象風景からは、どこか厳しさを感じますが、「崖」とはまず垂直的な落差であり、またさまざまな地層の積み重なりでもあるのかも知れません。
前者については、これから自分が喰らいついて登っていく困難の高さ大きさに対する覚悟であったり、その以前と以後とではまったく違う生きる位相が違ってしまうような過去の決定的な変節といったことが想像されますし、後者についてはそれらは急に現れたり、偶然起こったのではなく、長い時間をかけてすこしずつ用意され、準備してきたことの顕在化に過ぎないのだというニュアンスを感じ取ることができます。
いずれにせよ、掲句において作者が自己をみつめる眼差しは深く厳しく、それはどこか秋の涼やかな外気とも地続きであるような感じがします。
9月23日におひつじ座から数えて「切り替え」を意味する7番目のてんびん座へ太陽が移る秋分を迎えていく今週のあなたもまた、そんな作者のように自身の心の深いところで起きつつある変節への自覚を深めていきたいところです。
やわらかな仏の光
現代は「死に甲斐喪失の時代」と言えます。過去には、おおやけに認められた「大義」というものがあり、たとえそれが誰かにねつ造されたまやかしの死に甲斐であったとしても、「喜んで死ぬ」ということがありましたし、それは同時に、そういう風に生きるべしという倫理観でもあったのです。しかし、今日においてはそうした倫理観は失われました。
この世にある限り果てしなく業を重ね、救いのない世界を生きていかねばならない。それどころか、業によって発生する因果応報のおよぶ先は、この世にとどまらず、あの世においても次の生まれ変わり先でも未来永劫、果てしなく続いていく。それが、あなたがこの世に生まれてきたということであり、苦界を生きるということの恐ろしさでもあります。
それでも、おのれが人間であることの謎、そのおぞましさを日々汲みとり、全身の毛穴から思い知っていくその先にこそ、霊魂の一番深い部分での地殻変動のごとき、やわらかな仏の光のようなものが差してくるのではないか。
今週のおひつじ座は、そんな命宿すものの凄絶とひとかけらの救いのようなものを、臓腑を通して直接掴んでいくことになるかも知れません。
おひつじ座の今週のキーワード
人間であることの謎