おひつじ座
スケール大きくはかりごとせよ
生きたビジョンは音が鳴る
今週のおひつじ座は、「下萌や石をうごかすはかりごと」(高浜虚子)という句のごとし。あるいは、動かしがたい現実を動かしていく計画を立てていくような星回り。
作者73歳の頃の句。春が近づいてくれば、少しずつ水がぬるみ、やがて草が萌える。掲句はそれを「石をうごかすはかりごと」という言い方で捉えてみせた訳ですが、このどこか身近な日常を大きく包むような言い方は、ただなんとなく景色を眺めているだけの人からは決して出てきません。
「下萌(したもえ)」の下とは、枯草の下の意であり、厳しい冬をじっと耐え、やがて来る春をたのむ心、それを中長期的なスパンで見つめるまなざしがあって初めて、庭の「石をうごかす」というビジョンは「はかりごと」、つまりあれこれと算段を立てて考えた計画となっていくのです。
この句を読んだ人の頭の中には、きっと下萌が石を動かしていく様子を定点観測カメラで捉えたようなシーンが映像化されていくはず。作者の言葉に、「句なり歌なりはその生活の流の上に浮いている泡である。生活は地下を這うている竹の根である。俳句や和歌は地上に生えている竹である。さらに比喩を代えて言えば、生活は鐘である。いつでも打てば鳴るべき鐘である。俳句や和歌はときどき撞木(しゅもく)が当たって鳴るその音である」というものがありますが、生きたビジョンからは自然と心地よい音が聞こえてくるもの。
12日におひつじ座から数えて「点と点を結んでいくこと」を意味する11番目のみずがめ座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、こうなったらいいなという未来の踏み石となっていくような計画を構想し、その具体的な手順を練ってみるといいでしょう。
陳子昂(ちんすごう)の『幽州台に登る歌』
唐のはじめに生きた陳子昂は政府の役人であると同時に詩人であり、当時おこった北方の異民族の反乱への対応策を提出したところ、取り上げられるどころかむしろ身分を下げられてしまい、その無念さからこの詩を詠んだとされています。
前不見古人 前(さき)に古人(こじん)を見ず
後不見来者 後(のち)に来者(らいしゃ)を見ず
念天地之悠悠 天地の悠悠たるを念(おも)い
獨愴然而涕下 独り愴然(そうぜん)として涕(なみだ)下る
ここで言う前・後とは時間の流れのこと。前方に歩んでいったはずの先人の姿は見えず、後方から追いかけてくるはずの未来の人の姿も見えない。ひとりぼっちである自分は、天地の「悠悠」として永遠に微動だにしない姿に、思いを集中させる。そうしてたえず変化する人間である自分を思い、悲しみに打ち砕かれて、涙があふれる。
これはただみずからの不遇や不条理を嘆いているというより、もっと広く、人生全体、人間全体のついての感慨をうたったものでしょう。
今週のおひつじ座もまた、これまで自分がどんな姿勢でこの世界と向き合ってきたのかということが自然と浮き彫りになってくるはず。起こった事実一つ一つに囚われるのではなく、なるべくその全体像を俯瞰していきたいところです。
今週のキーワード
我も世界も流れゆく