おひつじ座
笑われてこそ人生
笑った人間は見られている
今週のおひつじ座は、「存在の人間化」としての笑いのごとし。あるいは、笑い笑われる二重性を味わっていこうとするような星回り。
民俗学者の柳田國男は古来、愚かもの、無知者、子供、女、臆病堕弱か無分別な壮年男などが民俗的生活の中でつねに笑われてきたことを踏まえて、次のように指摘しました。
いずれも笑はれる者が人だつたといふことである。人またはこれと対等同視すべき者が目標となつて、始めて「笑」といふ感動は起るのであつた。…しかしいずれにしても笑は一つの攻撃方法である。人を相手としたある積極的行為(手は使はぬが)である。…弱くて既に不利な地位にある者になほ働きかけるもので、言はば勝ちかかった者の特権である(『笑の文学の起源』)
これは逆に言えば、人間関係が安定して秩序ある落ち着きがあるような時には笑いの余地は少ないということでもあります。つまり、笑いは人間的関係がもろもろ齟齬や矛盾を露呈し、関係の外見がたえず変形し、関係そのものが横滑りし、落ち込み、歪曲されて危うくなったところで湧き出してくるのであり、そこで目につくのは、笑いが人間の相対化を決定的なところまで推し進めるということ。
柳田國男はこうして、笑いのあとで笑った人間をどこか遠くで見ている神がいるのを感じ始めるはずだと結論づけるのです。
6日におひつじ座から数えて「相対化の促進」を意味する7番目のてんびん座で下弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、笑い笑われるべきは他ならぬ自分自身であるということに気が付いていくはず。
小利口をやめること
一般的に、何かを喪うことは不幸なことだと思われがちですが、一方で、不幸と真実はコインの裏表のようなものだということも忘れてはならないように思います。
これが幸せだと思い込んで頑張って作り込んできたものが、人生の途上で不意に破綻して、職業や名誉や家庭や財産など、何かしら喪失していった時にはじめて、この世のほんとうの姿を垣間見、そこで人間とは何かということを少しだけ悟るのではないか。
とはいえ、せっかく人間に生まれながらも人間とは何かということをほとんど悟ることなく人生を終える人間が世の9割である、といってもそれは言い過ぎではないでしょう。
そういう“小利口な人間”になることを、日本人はいつから大人になるとか、成熟と呼ぶようになったのでしょうか。小利口をやめるには、笑うのが一番です。柳田國男が言うように、笑いは最終的には人間関係を突き抜けて神への畏れに帰着し、人を謙虚にさせるから。
あるいは、本当の意味で人生はそこから始まっていくのかも知れません。
今週のキーワード
笑い笑われるべきは他ならぬ自分自身である