おひつじ座
人生はあの世への散歩道
慎重と用心から安心へ
今週のおひつじ座は、野口晴哉のいう「養生」のごとし。あるいは、特別な光を求めることなく、ただ闇のなかを進んでいくような星回り。
「整体」という言葉の生みの親でもある野口晴哉は、単に物理的に体をよくすることだけを考えていた訳ではありませんでした。例えば、「雨と風」という断章の冒頭では次のように述べられています。
人間の生きているのは苦しむ為だ。その苦しむことが楽しくなるまで、生きていることが養生というのだ。(中略)人間の向上とは苦しむことを拡げることだ。
これはある種の逆転の発想であり、野口は転ばないよう、失敗しないよう“賢い”頭が体を“コントロール”ないし“マネジメント”しようとするほど、その知恵のためにかえって決断と実行を失うことで人として眠ってしまい、そうしている間に気が抜けてしまう、つまり不養生に陥るのだと指摘します。
人間には先など見通すことはできず、自分の人生も、世の中のことも知り尽くすことはできないし、決して判らない。そのことを本当に判った人だけが、闇のなかでも光を求めず、また頼らない。いわく、「その足のおもむくままに、大股で闊歩している。彼はその内なる心で歩いて」いくことができるのだと言うのです。
10月1月から2日にかけて、自分自身の星座であるおひつじ座で特別な満月を迎えていく今週のあなたもまた、自分の内にまあるい満月に浮かんでいるかのごとく、ただポカンとして安らいでいきたいところです。
有漏から無漏へ
明確な目的を持たずにあちこちをほっつき歩く「うろうろ」の「うろ」とは、本来「有漏」という字をあてる仏教用語なのだそう。
「漏」とは穢れや煩悩の意であり、あれかこれかと悩み惑い、決断しかねて迷っていく中で、時に人は次なる目的地やそこへの道のりさえも忘れてしまう。これが「有漏」なのです。
ただし、それが行き尽くところまで行ききって、迷いがなくなるまでうろうろしきってしまうと、今度は反対に「無漏」となり、人は安心して死出の旅路に出ていける。この「無漏」とは、先の野口の「養生」ということとほとんど同じことを言っているように思います。
まだ“その時”が当分先であるならば、まずは悩みが尽きるまで、できるだけ大股でうろつき回るだけの覚悟を決めていきましょう。
今週のキーワード
火星と土星のスクエア