おひつじ座
異次元散歩気分
無我夢中
今週のおひつじ座は、水たまりの上をピョンピョンと跳ねていく男の子のよう。あるいは、慌ただしく流れゆく直線時間からちょっとだけでも垂直に脱け出していくような星回り。
生まれては消え、消えては生まれゆく泡のごとく、たえず生成変化するこの世の時間のごうごうとした力強い流れの中にあってなお、私たちは時にいつの間にかそこから脱け出して、非常に深くて静かな場所に到達することがあります。
哲学者のハンナ・アーレントは、精神が到達するそうした領域のことを「非時(ときじく)の小道」と呼び、そこでこそ哲学する精神は生きているのだと考えました。
「非時の小道」には“静止する今”だけがあり、それは「歴史としてのいつのことというのではなく、地上において人間が存在し始めて以来ずっとあったようにみえる」(ハンナ・アーレント、佐藤和夫訳『精神の生活』上巻)のだと言います。
とはいえ、「非時の小道」を歩むのはなにも哲学的思索ばかりではなく、芸術やスポーツ、遊びを通して、私たちは人生を通してたびたびそこへと訪れているように思います。
8月4日におひつじ座から数えて「今までにないビジョン」を意味する11番目のみずがめ座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、ここのところ見失っていた生のまったき瞬間、時々刻々が新しい創造であるという感覚を味わっていきやすいでしょう。
クセノスの目
哲学者たちは古来より「非時の小道」の呼び水として、快不快のいずれにも属さない、いわゆる中性的な情緒を大事にしてきました。例えば以下のような。
「エイリアンのようですね」。
こんな仕事をしていると、たまに、そんなことを、いわれることがある。そうかもしれない。哲学とは、クセノス(異邦人・異星人・客人)のような目で、この世を感じ、考え、生きなおすこと。まるで月から落ちてきた眼で―つまりまったくこの世とは異質な≪外からの視線≫で、この世の存在に驚き、漆黒の宇宙空間のなかに展開する地上のいのちのいとなみに、眼を奪われること。だから、もしかするととんでもない空間をいまぼくたちは生きているのではないかという想いのなかで、まるで異次元の世界を歩いているかのように、この世界をみつめなおすこと。そういってよいのかもしれない。(古東哲明、『現代思想としてのギリシア哲学』)
ここでいうクセノスの目とは、すなわち月(あの世)から地球(この世)を見つめるようなまなざしの仕方のことであり、"いかなる早まった価値判断も含まず”に物事を見ている時に不意に湧いてきた驚きや美的感動こそ、私たちの精神を垂直的な次元へと誘い出してくれるのです。
今週のキーワード
非時の小道